4月12日:禁煙失敗の日 

4月12日(木)禁煙失敗の日 

 

 水曜日にYさんと会って、夕食後にタバコを喫った。そこでちょうど箱が空になった。僕は一日禁煙してみると約束した。時刻は夜の9時だったので、翌日の同時刻まで禁煙すると言ったのだ。 

 結論を言おう。ダメだった。朝の10時前に限界が来て、喫ってしまった。結局、約13時間の禁煙だった。どうもいけないね。約束を破ったという罪悪感に今は襲われている。 

 朝の内はまだ禁煙しようと決めていたのだ。でも、仕事前になると、イライラしてしまうのではないかとか、眠たくなるのではないかとか、そういう不安に襲われて仕方がないのだ。それに喫煙欲求も昂ぶってきたのだ。 

 時々、半日禁煙というのをする。タバコが切れるのは大抵夜だ。それから翌日の朝まで禁煙するのだ。夜の8時に始めたとすれば、翌朝の8時までは喫わないということにするのだ。だから12時間はさして苦も無く禁煙できるようになっているようだ。ところがその先がよくない。これを少しずつ伸ばしていければいいのだが、未だに12~13時間以上はキツいと感じてしまう。 

 今、喫茶店でこれを書いている。23時半だ。24時からまた半日禁煙をしようと思っている。つまり、明日の正午までの禁煙だ。 

 これが可能なのは、間に睡眠時間を挟むからだ。これがあるのでまだ耐えやすいものになっている。でも、睡眠時間も禁煙時間に含めて良いのだ。と言うのは、僕は寝ていてもタバコを喫う人間だからだ。 

 眠る前に一本喫う。途中で目が覚めたらそこでまた一本喫う。目覚めて、どんな夢を見たかを振り返る時にも一本喫う。寝タバコこそしないものの、睡眠時間内もけっこう喫うことがあるのだ。だからこの時間も禁煙時間に含めて一向に差し支えないと僕は考えている。 

 それと昨日のYさんとのことを反省した。僕のヨタ話がダラダラしていて、彼女はトイレを我慢していたと言う。僕は悪い気がしたので、その後、事ある毎に「トイレは大丈夫か?」と訊いていた。イカンイカン、それが父親役割していることだと気づき、反省する。 

 人間、出すものは出すのだ。それが汚いとか言っても、僕からすると、飲食したものが永遠に出てこない方が汚いと思うのだが、どうだろう。だからそんなの我慢する方がどうかしているのである。僕が話の途中でも、遠慮なくトイレに行ってくれて構わないのだけど、彼女は僕の話を中断させるのが悪いように思ったようだ。 

 僕はカウンセリングの途中でもトイレに立ったことが何度かある。もちろんクライアントには断ってだ。面接前にトイレは済ませるようにしているのだけど、そういう暇がない時もあれば、お腹の具合がよろしくない日もある。我慢して、クライアントの前で複雑な表情をしてしまうよりかは、ちょっと断ってトイレに行く方がましだと思っている。幸運なことに、僕がトイレに行って、それで怒り出すクライアントとは出会わなかった。皆「どうぞ行って下さい」と快く承諾して下さる。だから僕は思うのだ。話し合いの途中であっても、ちゃんと断れば、トイレに行っても全然相手に不快感を与えないと。 

 まあ、こういうのは僕の一面的な理解の仕方かもしれないな。そういうことがとても気になる時期というか年代が人生の途上であるのも確かだ。彼女はその時代を今生きているのかもしれないな。ああ、でもこういう考え方をすると、やはり僕は彼女の父親役割をしてしまっているような気分に襲われてしまう。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

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