4月5日(木):交際の構造化
Yさんと会った。夜は喫茶店でお喋りをして過ごした。Yさんはおとなしい人だ。僕の方もそれほどお喋りではない。だから会話が弾む時はとても幸せに感じる。特にその会話が、響き合うようなものだったら一層幸福感を体験する。会話が弾むと、僕たちの間に空気の流れが変わるような思いを僕はする。何て言うのか、僕たちの間にある空間の色彩が変わるような体験を僕はするのだ。
今日、会話したことの中で、一番有意義だったのは、僕たちの交際開始日を決めたことだ。いつから交際を始めたことになるのか、実ははっきりしなかった。僕は昨年の暮れというように捉えていたけれど、これを機に、お互いに共通認識を持っていようと思った。
交際開始日を決めたからと言って、別に記念日として祝うつもりはない。ただ、そういう特定の日があるということは、交際が構造化されるのである。節目になる日が何日かあるくらいの方がいいと僕は思っている。
しかし、夜はとても寒かった。もっと気温が上がれば、喫茶店じゃなくて、どこかその辺のベンチにでも座ってお喋りするのだが。交際にはお金がかかるものだ。夕食もどこかの店に入らなければならないし、お茶するのにも喫茶店に入らないといけない。そういう出費が最近増えたなと思っている。もっとも、独りで無益に使うよりかは、一緒に食事でもして使う方が有益であるが。
でも、金額よりも時間だという考え方を僕はしている。高価なプレゼントを贈り合うよりも、一回でも多く会う機会を作る方がよっぽど価値がある。お互いの時間に値段はつけられないものだ。僕の価値感では、一緒に過ごす時間の方が意味がある。品物は品物で終わるものである。
一緒に過ごすことの何がいいかと言うと、生きているという感じが僕にはするのだ。生命感情が活動し始める感じがするのだ。今夜、彼女と別れて、帰宅してからこれを書いているのだけれど、まだ、多少気分が高揚している感じが残っている。だから躁病の人の語りのように支離滅裂になっていないかといささか心配である。
でも、僕だけ浮かれていてはいけないな。Yさんが一段と痩せたように思う。僕はとても心配している。生活が急変したこともあるし、それで食事の間隔が変わり、全体として食が落ちているようだ。そして、新環境のストレスもあるだろう。Yさんの適応が進むまで、この傾向は止めようがないだろと思う。僕としてもできるだけのことはしたいと思っている。
僕も昨年みるみる痩せていったから、痩せるということがどれだけしんどいことであるかよく覚えている。僕の体験も踏まえて、Yさんを援助できればと思う。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)