4月3日(火):独り歩く夜
今日は外出を予定していたが、天気が荒れるということなので変更する。実際、すごい風雨であり、変更して正解だった。
夕方よりYさんと会う。会うのは週に二回だけだ。約五日ぶりに会う。五日ぶりとは言え、会う時は少し緊張する。そして余所余所しさが解消されるまでに少し時間がかかるのだ。
Yさんと会話していると面白い。会話に熱中すると、僕自身がいろんな過去の体験を思い出す。連想がすごくよく働く時もある。想起したり、連想が働いたりというのは、僕の心が動いているからだ。Yさんと会っていると、そういうことを僕はよく体験するのだ。
夜は焼き鳥屋に入った。客が僕たちだけだったので、焼き鳥屋の大将の視線を感じる時もあった。ああいうのは落ち着かないね。客が僕たちだけだったからと言って、別に寂れているわけではないのだ。高槻全体がひっそり閑としていたのだ。まあ、風がきつくて、しかも寒いとなれば、人は出歩きたいと思わないだろう。
まあ、いずれにしても、だんだん繁華街も淋しくなってくるね。京都なんかはさらにひどいものだ。観光客がいるのであまり目立たないけれど、観光客を差し引くとかなり寂れた姿が浮かび上がるのではないかと思う。
いかんいかん。寂しい光景が思い浮かぶのはYさんと別れてからの恒例行事である。Yさんとの時間が愉しくて、その後、独りになるのが淋しいのかもしれない。祭りごとの後で抑うつに襲われるのと同じような感情だ。でも、Yさんの淋しさをどこかで感じ取っているのかもしれない。いずれにしても、Yさんと別れた後の、阪急の駅まで一人で歩く時は、いつも一抹の淋しさを体験している。
それから帰宅して、これを書いている。時刻は2時前。もうそろそろ起きているのが辛くなってきた。まとまらないまま、今日はここで閉じようと思う。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)