6月4日(日):曲り道
昨日、母たちの付き添いで、僕も舞鶴へのドライブに同行した。
今日、ネットで地図を検索して、一体、父がどういうルートで行ったのかを辿ってみた。なんてことはない。高速道路を降りて国道を走っただけだった。案外シンプルなルートだったことに改めて驚く。
こうして地図で実際に走ったルートを辿っていると、いろんなことも思い出す。そういえばグラウンドがあったなとか、こういう地名のところが確かにあったなとか、ここには駅があったとか学校があったとかいったことを逐一思い出す。
男は話を聴けなくて、女は地図が読めないなどというバカなことをいう心理学者もいるが、そんなことはないのである。地図を読める女の人もいるのである。肝心なことは、実際に通ったルートを地図上で再確認することである。こういう作業をしていると地図が読めるようになってくると僕は思う。
従って、地図が読めるか否かも訓練次第というものだ。ただ、そういう訓練に思い至らない人もけっこう多いのだろうとは思う。
女の人は後から地図で調べるということをしないかもしれない。それはそれで構わないことでもある。地図が読めなくても生活はできるのだから。
さて、僕が何を言おうとしているかと言うと、空間と時間という人間学的次元の話なのだ。旅行に行った女性(に限らないが)は時間的な把握はしているものである。グラウンドがあって、こういう地名のところを通過して、駅があってその後で学校が見えたなとか、そういう時間的に経験したことは把握できているものである。地図でルートを調べるというのは、時間的な把握ではなく、それを空間的にも把握するということなのである。
ミンコフスキーによれば、時間的体験はうつ病に、空間的体験は分裂病(統合失調症)に関係するという。僕もそれに賛同する者である。しかし、一方が弱化するので他方が肥大するという関係がどちらにも認められるようだ。空間的体験が縮小するので時間的体験が肥大するのであり、その逆もあるということだ。
このように考えると、両方の体験をしておく方がいいということになりそうである。僕はそれをしているわけだ。時間的な体験をした後、空間的な体験も補っておく。地図で辿るのはそのためだ。
それと、昨日、ふと思ったことがある。五老ケ岳公園に上がる道でのことだ。山道で、右に左にと曲がりくねっている。蛇行しながら走ったわけだ。
曲り道では、目の前の景色が限られた範囲しか見えない。直線の道では先々までが視界に入る。この先に何があるのか、遠くの方まで見える。曲り道となるとそうはいかないということだ。曲がり角に近づくにつれて少しずつその先が開けてくるが、それより先は曲がり切るまでは見えない。
こんなの当たり前の話で、誰でも経験的に知っていることである。僕も生まれて初めてそれを見たというわけではない。これまでに何度も見てきたことであるけれど、あらためて気づくということもあるものだ。
人生の曲がり角でも、僕たちは案外同じような体験をしているのかもしれない。全く先が見えないというわけではないけれど、見えているのは少し先までのことで、それより先は何が待っているのか知る由もない。曲がり角に差し掛かり、少しずつその先が見えてくるといった体験をしているかもしれない。
僕のかつてのクライアントたちもそういう状態で僕を訪れたのだろうか。クライアントたちが少しでも見通しがつくとかなり落ち着くのであるが、それも当然かもしれない。少しでも見通しのようなものが得られた方が、先の見えない状態に留まっているよりも、はるかに安心感が得られることだろうと思う。
僕もまたそうした曲がり角に差し掛かっている。すでに曲がり始めているけれど、まだ完全には曲がり切っていないといった感じがしている。
来週とか今月とかであれば見通しも効くが、二か月後とか三か月後とか、僕がどうなっているのかまったく見えない有様だ。暗中模索して、手探りで前に進んでいる感じだ。
それで、アタマの中ではいろんなことに追われている。あれもしなければ、これもせねば、などということに追われている。時々、すべてを投げ出したくなる。一時的に投げ出すことはできても、それで得られる安堵は儚いものだ。
それに、曲がり角に差し掛かって、曲がり切ったら直線コースが待っているとも限らない。山道のように蛇行しているかもしれない。右カーブを曲がり切ったら、今度は左カーブが待っているかもしれない。それを生きるのが人生というものかもしれない。
ちなみに、神経症的な人はそれを人生とは認めたがらない。彼らが僕のカウンセリングを受けても、所詮は水と油になってしまうのかもしれない。彼らからすると僕は厳しいカウンセラーだと映るだろうと思う。それでも構わない。僕は僕の人生を生きる。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)