5月5日:キネマ館~『オール怪獣大進撃』 

5月5日(金):キネマ館~『オール怪獣大進撃』 

 

 この映画、正確に言うと、このタイトルの前に「ゴジラ・ミニラ・ガバラ」と三怪獣の名前が付される。1969年(昭和44年)の公開。 

 僕が子どもの頃、この映画をよく観た。テレビ放映されたのをビデオに録画して繰り返し観た記憶がある。当時はよほど気に入って観ていたのだろう。僕の個人的リバイバル上映の一環として、本作を観ることにした。いや、正直に言って、本作の存在すら忘れていたようなところがあったのだけれど、レンタル屋に置いてあるのを見つけて思い出した感じである。懐かしいと思い、レンタルしてみた。 

 

 物語の主人公は一郎少年だ。いじめられっ子で、「鍵っ子」だ。性格的に引っ込み思案な上に、両親が共働きで家に帰ってもいつも独りぼっちな少年である。この少年は自分が怪獣島に行くことを夢想する。本作の怪獣たちはすべて少年の夢想の世界で登場する。 

 怪獣島で彼はミニラと仲良くなる。ミニラは一人で生きていけるようにと親ゴジラから厳しく育てられている。でも、ミニラはまだ一人前ではなく、悪い怪獣のガバラにやられてばかり。一郎少年はミニラに親近感を抱く。 

 その頃、少年の住む町では5000万円強盗犯の二人組が潜んでいるという疑惑が浮上する。犯人の乗り捨てた車が近所で発見されたのだ。だから、その近辺に犯人が潜んでいるかもしれないと、警察も昼夜を問わず捜査していた。 

 そんな折、彼にとって秘密の隠れ場所である廃墟に潜り込んだ一郎少年は犯人の落とした免許証を拾ってしまう。犯人たち二人組はそれを取り戻すべく、一郎少年を誘拐する。 

 誘拐され、廃墟に閉じ込められた一郎少年は夢想の中でミニラたちと再会する。そこでミニラがガバラを倒すところを見て、一郎少年も二人の大人の強盗犯を相手に戦いを挑んでいく。 

 

 おおまかな筋はそのようなものだ。あとはいろいろ思うところを述べよう。 

 まず、工業地帯の小学生ってあんな感じなんだといった驚きがあった。大型自動車が通る交通量の多い道路を通学するのだ。空気も悪いし、交通事故やなんかの心配もあるのに、子供たちだけで通学しているのだ。そういう時代だったんだなと思う。 

 子供どうしのイジメを取り上げているのも特徴的だ。さっちゃんというガールフレンドのいる一郎君の方が、いじめっ子ガバラよりも、「上」のような気がするのは僕だけだろうか。それはさておくとしても、当時のイジメは今ほど陰湿ではなくて、いじめっ子がその子と仲良くなるための方策、それも間違った方策であって、基本的には仲良くなりたいのである。仲良くなるやり方が身についていないので、イジメのような形を取ってしまうことが多かったように思う。 

 両親が共働きで、自分で鍵を開けて家に帰る「鍵っ子」の問題もこの時代に生まれたものか。両親も子供を一人にしたくないと願いながらも、なかなかそれを許してもらえないという社会状況があったのだ。「父親にも育休を」といっている現代がなんと平和に見えることか。 

 本作では天本英世さんが実にいい。子供好きの大人が近所にはいたものだ。天本さんは子供の玩具を発明する発明家のような役柄だ。一郎少年の隣に住み、何かと面倒も見る。大体、天本さんと言えば、悪役とか怪人役とかが多く、そういうイメージが僕の中で植え付けられていたのだけれど、本作ではとぼけた感じの好々爺で好感が持てる。時に一郎少年から一本取られたりもする、憎めないキャラを演じている。 

 一人で強盗犯を退治した一郎少年は、翌朝、新聞記者たちからインタビューを受ける。どうしてああいうことができたのかといった問いに彼は「ミニラだよ」と答えて、記者団を煙に巻く。そこを天本さんがフォローする。「我々が信仰するのと同じで、ミニラ信仰があってもいいじゃないか」と。ナイスなフォローだ。しかし、これは要するに、当時の日本人がすでに神仏への信仰を失ったことを意味している。少年は怪獣を信仰するしかないのだけれど、天本さんが言うと「それでもいいじゃないか」という気になるから不思議だ 

 強盗を演じた二人も、子供向けの映画なので、残虐なことをするでもなく、どこか間が抜けていて憎めない。一郎君の反撃に翻弄されて喜劇調に展開する。『ホーム・アローン』よりもはるか昔に、「子供が一人で悪い大人をやっつける」テーマを本作がやっていたわけだ。 

 怪獣陣も多彩なラインアップだ。まあ、過去作品の映像を流用するなど、低予算ぶりがうかがわれるのだけれど、そこは問わないことにしよう。エビラ、マンダ、カマキラス、アンギラスなど、似たような名前の怪獣が次々に登場する。特撮シーンは、現代からみると稚拙に見えるところもあるんだけれど、制作側の一生懸命さも伝わってくる。こういう特撮も悪くないと僕は思っている。 

 

 さて、本作は子供のイニシエーションを描いているのだ。ミニラを通して、一郎少年が一つ上の段階に進んでいくわけだ。最後はいじめっ子のガバラを倒して、彼らは仲良くなり、一つ大人になるのだ。 

 生きることは戦いだ、一人で生きられるようになれ、といった教えは現代の子供にはそぐわない価値観かもしれないけれど、戦うこと「も」子供は覚えなければならないものだと思う。 

 

 この頃(昭和44年)は怪獣映画も下火になり始めていた。ウルトラマンなど、テレビで怪獣が見られるようになったことも低迷の一因である。本作は最初から子供をターゲットにしているところに商業主義の臭いが漂ってくるのだけれど、それも仕方のないことだったのだろう。予算も限られ、冬休みの子供向け3本立て映画の一作として作られたようだ。その意味ではB級作品である。 

 しかしまあ、本作を純粋に楽しんで鑑賞していた無邪気な子供だった僕も、よくもこんなひねくれた大人になったものだ。年は取りたくないものである。永遠の少年でいられたらどんなにいいことかとも思う。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

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