11月15日(金):近所にて
久しぶりにブログを書く。今日は夜勤明けで、そのまま休日を過ごすことに決めていた。恐らく、年内最後の休日になるかと思う。
来週は予定がぎっしり埋まっている。こういうのは辛いと思う反面、嬉しいとも感じるし、厳しくてもやり遂げようっていう闘争心みたいなものが僕の中で掻き立てられる。
それはともかくとして、今日は帰宅して、昼過ぎまで就眠する。起床して、どこか歩きに行こうかと思う。行先もはっきりと決めずに、準備だけして、家を出る。駅に着く。ちょうど電車が出た所だ。次の電車まで、運の悪いことに、15分ほど空いている。
買い物を思い出し、その近くのドラッグストアに入る。腹が減ったと思い、その辺りの飲食店を見て回るが、特に何を食べたいというものもなく、結局、決まらない。
そうこうするうちに外出するのが億劫に感じられてきた。コンビニでちょっとした弁当を買い、帰宅して独りでそれを食する。
食後、寝転んで本を読む。いつの間にか眠ってしまったらしい。起きると外は薄暗くなっていた。しばらく本の続きを読む。やはり空腹感がある。振り返れば、今日一日で食したのは最前のコンビニ弁当だけだった。
外に出る。たまには家の近所で食べてみるかと思ったからだ。案外、家の近所の飲食店には行かないものだ。ウロウロ歩き回る。よくよく見ると、それなりに食べる所があるものだと思った。特にラーメン屋とお好み焼き屋が多い。それだけニーズがあるのかななどと思いつつ、一軒のお好み焼き屋に入る。
注文を取りに来たのはバイトの女の子だった。大学生だろうか。どこか自信なげで、おどおどして、なかなか魅力的な女の子だ。励ましてあげたくなるような子だった。
店内は割と混雑していて、けっこう流行っているのだなと思う。向かいの席では家族連れの人たちが揃って食事をしていた。親子と祖父母だろう。6人くらいで楽しそうに談笑しながら食事している。子供はまだ小さくて、一つ所にじっとしてくれない年齢だ。見ていると幸せそうだなと感じる。僕も平凡なサラリーマンになって、適当なところで結婚して、家庭を築いて、たまには家族で食事してっていう、そういう生活をしても良かったなと今になって思う。もっと違った人生もあっただろうに。
その時、ふと「できる男は結婚しない」といったタイトルの雑誌を今日のコンビニで見かけたことを思い出した。バカバカしい。結婚してもできる男はできるし、結婚していなくてもダメな男はいるものだ。そういう杓子定規なタイトル、中身を見なくても書いてあることがそのまま分かるようなタイトルの本っていうのは、僕はどうも好かんのだ。
この手お好み焼き屋で僕が注文するものは決まっていて、必ず「豚玉」なのだ。一番オーソドックスで、その店の味が分かるメニューだ。今日は奮発してそれにそばを入れた。つまりモダン焼きにしたわけだ。
このモダン焼きなるものがなかなか曲者で、そばにソースを絡めるか否かで僕の評価が分かれる。個人的な好みに過ぎないけれど、モダン焼きでは中のそばにソースが絡んでいてほしくないのだ。ソースが絡んでいると、とにかく味が濃く感じられてあまりいただけないのだ。
この店のモダン焼きは、幸いなことに、ソースを絡めないものだった。また、柔らかく仕上げられるよりも、しっかりと焼いてある方が僕は好きなのだが、この店はしっかりめに焼いてくれていた。それもラッキーなことだった。こういうこだわりは他人にとってはどうでもいいことだが、その人の自己愛の領域に関する事柄でもある。
実際、自尊心の低い人はこだわりをほとんど持っていないものだという印象が僕にはある。だから彼らを見ていると、多少のこだわりや自己流の流儀というものは持っている方が健全だという感じがする。
食事が済んで帰宅する。帰宅すると連絡が入っていて、来週の予定がまた一つ増えていた。しかもその新しく入った予定のために、その他の予定を一部変更しなければならなくなった。その変更の手配でバタバタしたが、それもどうにかなりそうな兆しが見えた。
有意義だったようで、無益だったようで、どちらとも言い難い一日だったけれど、こういう休日もいいものだ。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)