10月4日:うつから躁へ
夜勤を終えて、帰宅して寝ようかと考えていたけれど、寝たらそれで一日が終わってしまいそうに思われて、そのまま高槻の職場に出ることにした。定休日なので面接は入っていない。サイトの作業をしようかと思ったが、寝不足の状態でパソコンの画面を眺めつづけているのもけっこう辛い。
それで急遽、室内の整頓をすることに決めた。前々からしようと気になっていながら、ついずるずると先延ばしにしていた作業だ。僕も「躁鬱」の落差があって、躁的な時にはいろんなことが頭に吸収できるので、いくつもの資料や書籍を机に積んで、目を通す。机上に乗りきらないと、足元や周辺に置いたりする。発想も盛んになって、メモや覚書、下書きなんかを矢継ぎ早に書いていったりもする。
それから鬱的になると、それらを整理する気にもなれず、そのままだらしなく放置されてしまう。中途のままやりかけた作業を、いつかしようなどと気持ちの上では決意しながら、なかなか手をつけられないという状態になる。
鬱的な状態から抜け出る兆しとして、その辺を整理するというのがパターンとしてある。何か片づけたくなるのだ。そして、そういう気持ちになってきた時に、「ああ、鬱相が終わりに達しているな」と感じるのだ。
こうして、躁的な状態になっていく。すると、今日みたいに、一睡もしなくとも活動できたりする。ここでやっておかないと、そのうちに鬱相が来てできなくなるのだからと、けっこうな無理もしてしまう。
今日は、古い資料やメモの類を振り分け、不要なものはシュレッダーにかける。要るものはノートに書き写したりして、それから処分する。その他、いつか必要になるかもしれないと思って保存しておいたチラシやパンフレット、参考にしようと思った広告なんかも、すべて処分した。不要なレシートや明細書、送られてきたFAXや案内のハガキなども、必要でないものはすべて処分した。処分というのはシュレッダーにかけたということだ。
今日一日で袋三つ分のゴミが出た。それまでに二袋あったので、今、室内に五つのゴミ袋が満杯になっている。来週のゴミの日までにもう二袋くらい増やそうと思っている。
ゴミをある程度溜めて、一気にゴミの日に出すというのが快感だ。それだけスリムになった感じがする。今回、七袋出せば、それだけ僕の職場から不要な物が排出されたということで、その分量が目に見えるだけに、一層身軽になった感じがする。
この傾向も、多くの「うつ病」に見られるように、肛門期固着を残した性格傾向なのだろうな。まあ、それはともかくとして、取り敢えずは机周りだけでもきれいになったと、多少の爽快感を体験して職場を後にした。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)