<#016-1>「なぜQ&Aをしないのですか?」
<Q>「なぜQ&Aをしないのですか」、「Q&Aのページを設けたらどうですか」等々
<状況と背景>
こういうことは、一般の人が問うのではなくて、HP制作会社関係の人が発するものであります。ユーザーが知りたいこと、聞きたいことなどを自由に投稿できるページを設けてはどうかという提案なのであります。それによってHPの閲覧数を上げようとか、そういう目論見があるのでしょう。
<A>
これに対する私の回答は、Q&Aなんて無意味で、やるだけ無駄である、ということであります。
<解説>
以上がこの問いに対する私の回答のすべてであります。これ以上に述べることは何一つありませんが、なぜ無意味で無駄であるか、私なりのその根拠なり理由なりをいくつか述べておくことにします。
①まず、そういうページで寄せられる質問というものは、非常に大雑把であったり、漠然としていたりして、簡単に答えられない類の質問になる傾向があると私は考えています。そうした漠然とした質問に正確に回答しようとすれば、膨大な分量を綴らなければならなくなるでしょう。答える方はたいへんな時間と労力を要することになり、それだけの犠牲を払った割には報われることがないのであります。
②質問者は質問を寄こしてくるのですが、その人が本当に自分に必要な問いを知っているとは限らないのであります。むしろ、その逆である場合が多いと私は考えています。
つまり、本当に自分に必要な問いを知っているなら、本当に自分が問うべき問いを知っているなら、その人は「心の病」からかなり脱していることでしょう。心を病む人は、心を病む故に、正しくない問いを発し続けるのであります。間違った問いを追及するのであります。本当に大切な問いが分からず、周辺のそれほど重要でないような問いに延々と取り組んだりするのであります。自分自身に混乱があるので、あるいは自分自身に盲目であるので、そうしたことが生じるのであります。
従って、質問者にとって本当に必要でもなく正しくもない問いが寄せられ、その問いにこちらは回答しなければならないのであります。臨床家にとって、これがいかに無益な行為であるか想像できるでしょうか。
③仮にこちらが質問に回答したとしても、その後の質問者の態度が問われることになります。まず、大抵の場合、「わかりました」とか「なんかよくわからない」とか「ふ~ん」とか、その程度で済まされるものであると私は考えています。ただ質問を寄こし、回答を読んだというだけで終わるだろうと思います。
つまり、一つの知が他の知と創造的に結合することなく、単独に切り離され、それだけが読み捨てられ、活用されることのない知で終わるであろうということであります。
④質問者はあまりこういうことを意識しないで質問を寄こすだろうと私は思うのですが、その人のことを何も知らないのに、その人に関することを答えるというのは、けっこうな暴力的行為であると私は考えています。従って、質問者が質問してきた時点で、私は暴力的な行為に手を染めてしまうことになるわけであります。私にはそれが耐えられないのであります。
見ず知らずの人から一方的に分析されたりするのは、質問者にとっても耐えがたい経験となるのではないかと私は思うので、要するに、これはお互いに傷つけあっている行為になると私は思うのです。
さて、ここまで綴ってきて、こんなことを延々と言い続けている自分自身に嫌気がさしてきました。後は簡潔に述べておきましょう。
この後、結局、質問者は自分の気に入る回答だけを受け入れ、不愉快な回答は拒否するか攻撃的な反応を引き出されるかするだけであるということを述べるつもりでいました。だから、人気のある回答者というのは、質問者に心地いい回答だけを与える人であると私は考えており、そういうことをする気が私には皆無であります。
また、ここにおける関係性にも私は不愉快な経験をするのです。姿を見せない質問者に対して答えるというのは、なんだか自分が遠隔操作されているような錯覚を覚えるのであります。その人は質問だけする人、私は答えるだけの人、そして答えを受け入れるかどうかは質問者が取捨選択するという関係性に私はなんら有益なものを見いだせないのであります。
さらに、それと関係するのですが、仮にこちらが回答したとしても、その後のフォローができないというのも難点であります。質問を寄こして、私が回答します。それからどうなったのか私としては気にかかるところなのですが、後に続くものがないのであります。大抵のQ&Aなんてそういうもので、その場限りのものであり、それに関しては、質問者も回答者も、お互いに無責任であります。
つまり、Q&Aが一つの窓口のようになって、そこから関係が継続するとか、カウンセリングが始まるとかいったことが起きればいいのですが、まず、そういうことは見込めないのです。質問を寄こす人は、それだけで完結することが多いのであります。質問して、回答を得た時点で、動機づけが低下するのか、心的緊張が弱まるのか、何が質問者に生じるのかは知りませんが、そこで完結してしまうようであります。
それでも、質問を寄こした人が後にクライアントとして来談されることもあります。その人は質問に私が答えてくれたということで、私のカウンセリングを受けに来たのでしたが、質問は7年くらい前のことだったのです。そういうものだと思います。その人も質問した時点で完結しているのです。次の段階に発展するまでに7年も要している(ということは、その人の状態はこの7年間で変化していないということを意味しているのです)わけであります。従って、Q&Aは非「治療的」営みであると私は考えています。
単刀直入に述べることを許してもらえるなら、私は次のように考えているわけであります。Q&Aのようなものは、質問者が問題を継続させるために活用されるものであり、その人が治療なりカウンセリングなりを回避するために利用されるものである、と。
だから、そんなものやるだけ無駄であると私は考えている次第であります。
(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)