<自己対話編―17> 平成24年6月21日 

 

<対話> 

C:昨日は半分徹夜で、今日もこれを朝の5時から始めている。時間のやりくりがたいへんなんだ。こっちはこっちでたいへんなのに、人の都合や事情にお構いなしのYさんにはいい加減嫌気がさしている。僕は彼女がそういう人であるということもある程度は知っていて交際している。彼女は共感能力に欠けているなと思うこともある。それがなぜかということも僕には理解できているんだ。ある部分が未発達なんだ。そこを何とかして伸ばしていきたいし、未発達の部分に水路づけてやりたいとは思うのだけれど、それもそんな簡単な仕事じゃない。まあ、Yさんのことはそれくらいにしておこう。昨日は一日Yさんのことで神経を費やして、それでヘトヘトに疲れた。(1) 

T:彼女のことで神経を擦り減らしているようですね。(2) 

C:普通の付き合いができないのかと言いたいのは僕の方だ。彼女は社会に十分に出た経験がないから仕方がないのだけれど、けっこう失礼なことを僕に対してもしているんだ。それは良くないことじゃないかと指摘してもいいのだけれど、指摘したらしたでくよくよ気にするだろうから、教えるにも教えられない。恐らく、彼女の両親もそうして彼女に教えることができずにきたんじゃないかって思うね。僕は別にどうなっても構わない。彼女の方が僕に愛想を尽かして、僕から離れていくんじゃないかって予想しているんだ。それに、僕は今、恋愛云々という話にはウンザリきているんだ。恋愛どころの気分じゃないんだ。僕にはもっと、それ以上に大切なものがあるとさえ思っているんだ。なによりも仕事なんだ。はっきり言う、もうYさんよりも仕事を優先するって、自分の中では決めているんだ。恋愛や家庭よりも、仕事だと。(3) 

T:今は仕事に打ち込みたい気分?(4) 

C:仕事さえしていたらいい。仕事と、仕事に関連した事柄だ。それだけしていたらいい。Yさんも言うけれど、僕がその時々で変わるから困るそうだ。でも、人間って、そんなに一定で不変の存在なのかって、僕からすれば思うのだ。だって、みんなそんなに一定したことをしていないんじゃないかな。もしそうであるなら、朝昼晩と同じ献立のものを毎日食べているはずじゃないか。一週間に21回食事をすることになるけれど、21回とも同じ献立でやっていなければおかしいじゃないかって僕は思うね。因みに、今の僕は21回中16~18回は同じものを食べている。サラダにお茶漬けというメニューだ。昼は毎日それで、朝も大半はそれだけど、お茶漬けがたまにパンになるだけのことだ。僕の方がよほど安定的だと思うのだけど、どうだろうかね。(5) 

T:人間はころころ変わっても、それが普通なんだと思うのですね。(6) 

C:そう、毎日違った太陽が昇るっていうヘラクレイトスの言葉のようにね。本当は人間は毎日違っているはずなんだ。それを同じものを見ていると信じているだけのことなんじゃないかって僕は思うね。一人の人間でさえ、毎日それほど一定常態を保っているわけではないのにね。毎日血圧を測っている人なら、このことはよく分かるんじゃないかな。毎日間違いなく同じ数値を維持している人なんていないだろうと思う。そこには当然幅があるだろうし、これくらいからこれくらいまでの間を維持しているというだけのことだその範囲内において毎日動きがあるはずなんだ。ああ、くだらん。こんな単純明快なこと、人間は日々違っていくんだ、毎日新しい自分を生きるんだという、自明のことを、誰もがとっくに知っているようなことをこうして書き綴らなければならないのが、いい加減面倒臭くなってきたよ。(7) 

T:あなたにとってはそのことは自明のことで、今更説明するに及ばないほどなんですね。(8) 

C:そうだ。何を今さらこういうことを力説しなければいけないのかって、バカらしくなってくるよ。人間は日々変化しているし、それほど硬質な存在でもないんだ。ある部分ではアメーバのように自在に生きているんだ。ただ、人間は変わらないという信念を抱いている人たちがいるだけのことなんだ。くだらない。(9) 

T:変わらないという信念を抱いている人を実際にご存じなのですね。そういう人たちを見てどう思うのでしょうか。(10) 

C:そういう信念を抱いている人というのは実によく見かけるよ、クライアントの多くもそう。多くは自分の中に価値あるものがあるとまったく信じていなくて、自分の外側に好い物を追及している人たちだ。自分を変えていくことができるという可能性をまるで信じていない人たちだ。誰かが変えてくれるということを期待するだけなんだ。こういうことを僕が言うと、すぐにクライアントを批判しているとかゴチャゴチャ言う人もいるのだけれど、これは批判ではないんだ。僕の信念の表明であり、一つの啓蒙なんだ。人は変わらないと信じている人は、そう信じるのは自由かもしれないけれど、結局のところ、それはその人の自己限定的な生き方や思想の表れに過ぎないのかもしれないし、自己限定的な人が変容していくことは難しいと僕は思うね。僕自身、どこまでそれが出来てるか自分でも分からない。あまり自己を限定しないようにはしているのだけれど、どこまでそれができているやら。でも、自己限定的にしないようにするとすれば、そのためには日々の変化、自分の変化をそのまま受容する必要があるだろうなと思っている。今日は具合が悪い、具合の悪い日も当然ある、この具合の悪さは僕に何かを求めている、何かを知らせたがっている、それをそのまま受け取る必要がある、こうして僕は自分に関わる。自己限定的になれば、今日は具合が悪い、こんな具合の悪い状態はあってはならないということになって、ひたすら薬を飲むんじゃないか。そんなの実にくだらん生き方だね。(11) 

T:あなたは日々の変化を受け入れることができる。(12) 

C:昨日は神経を擦り減らしたけれど、今日はきっと具合がいい。なんといっても、朝の5時からこういう対話編を始めるくらいだからね。それはそうと夢を見た。ついさっきまで見ていた夢だ。これは一部場面が抜け落ちていて、はっきりつながりが見えない部分があるんだ。でも、こういう夢だった。職場があって、その職場の敷地内に仮住宅みたいなのがある。遅くなったらそこを使ってもいいよと言われていたので、僕はそこを利用する。中はマンションのワンルームのようだった。夜中だ。僕はその部屋で布団を敷いて寝ようとする。すると、窓の外でしくしくと女性の泣く声が聞こえる。おかしいな誰もいないはずなのにと思うけれど、確かに啜り泣きの声が聞こえる。僕は窓を開けて見た。そこには女性が一人いて、彼女はここで亡くなった子供を偲んで泣いていたのだという。毎晩ここに来て、子供のために花を添えているのだという。僕はその女性を部屋に招き入れた。その後、数人の人たちが入ってきて、部屋の中が賑やかになった。これはすべて夢でみた場面なんだ。それから場面が飛んでしまうのだけれど、夢は次のような場面に続く。自動販売機が並んでいて、僕はその一台で買い物をする。下の方にお金が落ちているのを発見する。僕はそれを拾う。お金が次から次へと発見されていく。たいていは小銭だけれど、一万円札も拾ったように思う。隣の台で買い物をしていた友達が、そんなに落ちているかと不思議がる。僕は彼の台の下を探してみる。やはりお金は落ちているんだ。僕たちはそれを拾えるだけ拾って、その場を後にする。その後、仕事場ということになっていたけれど、学校の校庭か広い公園のような場所にいた。バス停があって、バスを待っているようだった。僕と友人が2,3人いたように思う。みんな男だ。そこに女性の集団がやってきて、僕たちと合流するんだ。いくつかの輪ができるんだけれど、僕は、僕と友達と、それに3人の女性の5人グループに属していた。これがさっきまで見ていた夢なんだ。(13) 

T:その夢についてはどんな風に感じましたか。(14) 

C:愉しいような淋しいような夢だったな。最初の場面は僕が独り、部屋で寝ている所に、その女性が現れたことになっている。子供を亡くしたという女性だった。僕はその人を部屋に招き入れている。その女性が内面に入ってきた感じだ。その人が入ってくると、いろんな人が同じように入って来て、賑やかになっている。騒がしい感じではなかったな。どちらかというと和気あいあいとした感じだ。愉しい反面、その女性の悲しみが置き去りにされたかのように感じる。僕はその女性の悲哀に耳を傾けようとしていたのかもしれないけれど、そこに人がたくさん集まってきて、それきりになってしまった。僕がいる部屋は、何て言うのか僕の領域というイメージを連想するので、心の領域という感じがしている。そこにいろんな人が入って来ているということになるかな。その女性は悲しみを背負っているのに、十分悲しむことができなくなってしまったかもしれない。(15) 

T:その女性の悲しみをもっと共有していかなければならないということ?(16) 

C:うん。でも、そこに他の人たちがドヤドヤと入って来て、それきりになってしまった。でもその女性を放ったらかしにしたというわけではなくて、どこかで気になっている。本当はその女性の悲しみに付き合わなければならないのに、僕の心に入り込んでいる様々な物事が、僕にそれをさせないでいるのかもしれない。(17) 

T:いろんな要因があなたの中にあって、そのために悲しい体験をしている女性に目を向けることができなくなっている。(18) 

C:僕の中でいろんなものがごちゃ混ぜになっているのかもしれない。後半は自販機の場面からなんだけれど、これは最近、Yさんとの間で経験したことを思い出した。僕は自販機で買い物をした。その時、僕がお釣りを取り損ねたのだ。僕は全部取ったつもりだったのだけれど、硬貨が一枚残っていたのだ。それは僕の方からは死角になっていて、全く見えなかった。Yさんが教えてくれた。その時のことを詳述するつもりはないけれど、確かに僕は言葉足らずだったし、彼女は言葉過多だった。嫌な気分を僕は体験したね。夢ではもっとたくさんのお金を拾っている。お金のことも僕が頭を悩ましていることの一つだ。夢でそれが出たのかも。でも、このお金、落ちているお金なんだ。ちゃんとした所から出てきたお金ではないんだ。そこは今、引っかかっている所なんだ。きちんとした場所ではなく、しかも正当な取引で得たお金ではないんだ。これはどういうことなのだろうか。何かが間違っているというような漠然とした感覚を覚えている。その後はまた賑やかな場面だ。場所ははっきりしないのだけれど、広い場所で、バス停というか、広い待合室のような感じでもあった。そこで大勢の人が現れて、とても賑やかだった。僕は、僕ともう一人の男性友達、それに女性3人で語らっていた。皆、現実には存在していない人たちだ。友達と言ったけれど、夢の中ではそれが分かっているというだけで、現実の誰か、特定の誰かではなかった。この5人グループ、少しアンバランスな感じがしないでもない。男性二人に女性三人だ。しかもこの女性たちは僕たちよりもずっと若くて、もしかしたら10代だったかもしれない。高校生くらいの女性だったかもしれない。年齢ははっきりしないけれど、僕よりはずっと若かった。いや、ここで登場した人たちはみな僕よりも年下だった。僕と同年代だと思えたのは、最初に登場した子供を亡くしたという女性だけだった。(19) 

T:夢にはたくさんの人が登場したけれど、それぞれに個別性がるという感じではないのですね。(20) 

C:だから連想が広がらないのかもしれない。大雑把に言って、その他の大勢の人という感じだ。だから個別的に捉えるよりも、集団として捉えた方がいいのかもしれない。そして、僕はこういう賑やかな夢を見るのが一方ではとても好きなんだ。こういう夢を見る時、これは僕の場合はだけれど、僕はけっこう元気なんだ。内面が好い意味で賑やかで、活気に満ちている感じがしているんだ。朝の5時からこんな対話編作業をやっているっていうのもその証拠だと思う。よくやるなと自分でも思う。朝食も取らずに、顔もまだ洗っていないというのに、この対話編だけはきっちりやっておこうって言うのだから。僕はやっぱり変わり者かもしれないな。(21) 

T:変わり者のあなたが夢ではとてもみんなと和気あいあいとしている。(22) 

C:溶け込んでいる感じがするね。それがもしかしたら僕が望んでいることかもしれないな。変わり者の僕でも皆の中に入って、皆と同じ仲間として関わり合うっていう。(23) 

T:そんな風に関わり合っている感じが今はしない?(24) 

C:あまり感じないかもしれない。どこかで僕は僕だと、彼らは彼らだと、区別している自分を体験している。でも、これは事実そうだ。僕は僕で自分のテーマに取り組むし、僕の人生を送っている。彼らは彼らで銘々がそれをしたらいいと思っている。僕のこの考え方は、だから、人と交わり合うことがない結果となる。そういう思考だということは気づいている。でも、僕はそうするしかないのだ。もっと、みんなと同じようになって、みんなと交流しあってということも大事なことだとは思っているのだけれど、僕はやはり僕自身のテーマから離れることはできないんだ。それを無視して、表面的に大勢の友達に混じったとしても、僕は何一つ幸せには感じられないんだ。もしかしたら、その時は愉しいとかっていう感情を体験するかもしれない。でも、そういうのはどこかその場限りっていう感じがしないでもない。僕は過去の自分の経験から分かるのだけれど、その場限りのものを追及すると、非常に生が虚しくなるんだ。確かに、その場限りのものを必要とすることもある。酒なんてその最たるものだ。でも、それはその場凌ぎには有効だけれど、それだけで終わるものなんだ。その場凌ぎのようなものでさえ、それに縋り付きたくなる時はある。(25) 

T:それはどんな時?(26) 

C:非常にしんどくて、行き詰っていて、苦悩している時なんかそうだね。取り敢えずでもいいから、少しこの場を凌ぎたいって思う。酒は常にその場凌ぎにしかならないけれど、それでもそれがありがたい時がある。もっと言えば、自慰であろうと、やけ食いだろうと、散財だろうと、やっていることはすべてその場凌ぎのもので、みんなその場限りの満足しかもたらさないものなんだ。後々まで残るようなものは何もないんだ。(27) 

T:そういうものが必要な時もあるけれど、あなたが本当に求めているのは、そうして後々まで残るような何かなんですね。(28) 

C:そう、それで何が後々まで残るだろうかって考える。個人において、後々まで残るようなものって何だろうって考えるんだ。所有物はいずれは失う。だから違う。友人知人とも別れがくる。それは家族や恋人だって同じことだ。自分の外側にあるものは、すべて失われるか訣別するかする運命にあるって、僕は思うんだ。こんなことを考えると、すべて一時的なものでしかないという感じがしてくる。そうなると、人間にとって後々まで残るものといえば、もっと内面的な事柄ではないだろうかって思う。記憶とか、思い出、過去なんかは、僕の内面で残っている。子供の頃、よく遊んだゲームは今では無くなっている。でも、そのゲームのことやそのゲームで遊んだ経験は思い出すことが出来る。後々までこうして残っている。それがいい思い出であろうと、忌まわしい思い出であろうと、僕の中では後々まで残っており、今でも思い出すことができる。それは僕が積み重ねてきた歴史でもある。どんな体験であれ、それが今の僕を形成している。(29) 

T:あなたはそれらを大切にしたいのですね。(30) 

C:だから、語りなおすことでもう一度自分のものにしていきたいと思うし、こういう形で残したいって思うのかもしれない。そうでなければ、僕はあまりにも儚すぎるし、空虚な人生を送っているという感じがする。(31) 

T:どんなものであれ、あなたの中に残っているものは、あなたにとって財産のように感じられるのですね。(32) 

C:そんな感じがしている。(33) 

T:それではそろそろ時間になりましたので、ここまでにしておきましょう。(34) 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

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