<自己対話編―11> 平成24年6月11日 

 

<対話> 

C:今日は具合の悪い一日だった。とてもしんどかったよ。食事もお昼は食べたけれど、朝と夜は何も食べたいと思わない。時々こういうことがあるんだ。何も欲しくないっていう日が。何も中に入れたくないっていうような気分だ。こういう気分の時は、満たされている時か、いろんな感情で内面がいっぱいいっぱいになっているかだ。恐らく後者の方だろうと思う。(1) 

T:感情が今はいっぱいある?(2) 

C:過去を振り返ったりしているせいだろうか、いろんなことを思い出す。今まで忘れていたようなことを思い出したりする。(3) 

T:今日は何を思い出していたの?(4) 

C:小学生の頃だ。多分高学年だったと思う。僕がトレーニングで走っていたりしていた時期だから。その日、夕方だったな。僕は町内を走ろうとしていた。いつもの練習だ。その時、二人の高校生くらいの男と擦れ違った。二人とも自転車に乗っていて、並んで走っていた。一人が通り過ぎる時に僕の顔に唾を吐きかけたんだ。いきなりのことで僕は何が何だか分からなかった。彼らは知らない人たちだった。その後、こういうことも思い出した。これはもっと年齢が低かったな。兄が「口を開けて」って言うから、何だろうと思って口を開けると、兄はそこに唾を吐きかけたんだ。陰湿な連中が多いものだ。思い出すとイヤになってくる。暗い気分になってくる。(5) 

T:あなたはそれを暴力だと気づく必要がありますね。(6) 

C:そう、確かに暴力だ。その瞬間は何が起きたのか訳が分からなくて、怒りよりも困惑の方が先に感じられていた。その後、困惑がなくなってきて、不快な気分が僕を支配していった。自分が情けないような気持ちになっていくんだ。(7) 

T:怒りを出せなかったからなんですね。(8) 

C:結局は、自分が情けないからこんな目に遭うんだということになっていったように思う。後から怒っても、もう遅いんだ。(9) 

T:その時に怒りを感じることが難しい。(10) 

C:難しいのだろうね。だからいろんなものを溜め込んでしまうのだろうと思う。もっと即座に自分の感情を把握して、それを出せることができたらと思う。(11) 

T:そこで何か制止されているような感じでしょうか。(12) 

C:何かスムーズでないものがあるって、いつもそう思う。僕の中でスムーズに流れていかない感じなんだ。それで後になって、自分の感情に気づいたりする。Yさんと旅行に行った時、夕食の席で、なぜかいじめられていた時の光景が甦ったと話したと思う。ああいうのがよくあるんだ。何年も経っているのに、その時と同じような感情が込み上げてきたりするんだ。(13) 

T:それで非常に落ち着かなくなる。(14) 

C:その方が簡単だからそうするのだと僕は思っている。虐げる方がラクだから、人間は同胞に対して残酷になれるんだって思う。だから愛したりすることは難しいし、技術もいるし、人間的にも成熟していなければできないことなんだから、人は愛するということをしないのだと思う。(15) 

T:自分のことを愛してくれるというのはとても難しいことなのだろうって思。(16) 

C:だからみんなしたがらないのじゃないかって思う。人を非難するわけにはいけない。二人だけの面接場面ならいいのだけれど、これはある部分では公のものだ。そこにもジレンマを覚える。僕の話に登場する人たちはほとんどすべて、今でも生きている。何かのきっかけでこれを読むかもしれない。その時に、彼らが不利になるようなことは書かないでおこうと決めている。だから他の人のことに関しては、どうしても奥歯に物が挟まったような言い方しかできないのが辛い。(17) 

T:本当ならここで書けないようなことを言いたいのですね。(18) 

C:そう。だけど、その人たちを苦しめたいとも思わない。兄なんかは、僕から見れば、自己愛の強い子供のように見えることもある。昔から変わっていない部分もある。そういう兄が僕の家庭では期待の星だったんだ。確かに、兄は優等生だった。僕とは雲泥の差だった。僕とう弟がいるというだけで、兄は随分プライドを傷つけられたことだろうと思う。こんな弟がいなければと思うことだろう。まあ、それは僕の方も同じだ。兄がいなければどれだけ良かっただろうかと思う。僕が高校入学が決まった時のことだ。僕は父に合格を伝える。一瞬、父も喜んだように思った。その時、その場にいた兄がすかさず割って入って、僕が行く高校がどんな学校であるかということを父に話すんだ。勉強ができなかったから、僕はそれほどいい高校には行けなかった。兄のように進学校には入れなかったんだ。とてもひどい高校に合格が決まったんだ。兄が僕の高校の噂をいちいち父に話すのだ。だんだん父の顔が曇って来て、「そんな高校なんか」と、父はすごく失望したようだった。(19) 

T:高校に合格して、お父さんに喜んでもらえるかと思ったのに。(20) 

C:兄がそうやって横やりを出したんだ。僕は今でも覚えている。高校に合格しても、合格祝いなんてなかったって。「合格おめでとう」というような言葉さえなかった。あるのは、とんでもないアホな高校に決まったんだなくらいのもので、父の失望があっただけだ。兄はこれだけできるのに、どうしてお前はそうなんだと言われているような気分だった。(21) 

T:今のあなたから見て、お兄さんがしたことはどういうことなんだと思う。(22) 

C:僕を貶めたかったんだって思う。僕が底辺に居る限り、兄は権威を手にすることができるからなんだ。家族の宝でいられるからなんだ。僕はずっとそう思っていた。兄がいちいち言わなくてもいいようなことを、親に報告するんだ。僕のことでね。隠しておきたいと思うようなことでも、平気で暴露するんだ。そのくせ、人のノートは勝手に見たがるし、僕の服や靴を勝手に着用して外出したりするんだ。兄はそういう人間なんだ。去年のことだった。今では兄は別居しているのだけれど、時々実家に来る。それで去年、僕は交際していた女性友達のMさんと一緒にあるCDを聴こうと思ったんだ。なかなかいいアルバムで、Mさんも気に行ってくれそうなものだった。僕の部屋で、CDの棚を探す。でも、そのCDが見当たらない。見落としたかなと思って、何度も見直したのだけれど、やはりないものはないんだ。その翌日にMさんと一緒に聴こうと思っていたから、そのCDがないっていうのは、僕にとってはとても困ったことだった。後日、兄から僕に渡しといてって母が荷物を預かっていた。見ると、その中に僕が探していたCDが入っていたんだ。他のCDや本なんかも一緒に入っていた。そういうことをするんだ。無断で勝手に持ち出して行くんだ。実家に来た時に、兄がその場で聴いたり読んだりする分には構わない。持って行ったとしても、これこれのCDと本を借りたということを残してくれていればまだましなんだ。無断で、僕の知らない間に持っていくんだ。弟のものは自分のものと思っているんだと思う。(23) 

T:自分とあなたの区別をしてくれない。(24) 

C:そうなんだ。だから困るんだ。呑み屋のマスターだったけれど、仲が良い人がいてね、その人に兄のことを話したら、兄は長男の悪い所を全部持ってはるなあという意見だった。僕もその通りだと思う。それからこれも不思議なことなんだけれど、初対面の人から、僕は長男だと思われることが多い。兄弟がいるとしても、下にいるのだろうって思いこむ人が多かったな。僕が長男で、下に妹がいるというイメージを持たれることも多々あった。僕のどこからそういうイメージが相手に生まれるのか分からないのだけれど、とにかく次男には見られないということをよく体験した。心理学の先生からも、僕は二男の性格ではないと、長男の性格に近いと言われたことがある。それで、なんでこういうことになるのか、僕なりに考えてみた。でも、考えるまでもないことだ。父、母、兄、僕という家族構成だけれど、それは表向きのことで、僕には父、父、母、僕というように家族が体験されていただけのことだ。(25) 

T:父親が二人いるような家庭だったって思う。(26) 

C:父親と父親類似の人という感じの方が正しいかな。でも、二人の父がいたように体験されていて、僕には兄がいなかったんだ。もちろん、これは僕の内面で体験されている家族という意味でだ。そのせいか分からないけれど、エディプスコンプレックスということが、最初はどうしても理解できなかったんだ。(27) 

T:もっと複雑な四者関係だったように思う。(28) 

C:そう四者関係なんだ。両親に認められるには、僕はまずこの父親類似の対象と同一化していかなければならなかった。こんな言い方は今だからできるのだけれど、兄のようになればいいのだと思って、僕は高校時代を過ごした。兄は陸上部で、それなりの成績を残していた。兄は中学、高校、そして大学でもずっと陸上部だった。僕は兄の影響で、中学は陸上部に入った。高校では止めようかと思っていたのだけれど、兄のようにならなければという思いが強かったので、高校でも陸上部に入ったんだ。兄の専門の800メートルで記録を抜くということが目標だった。でも、僕の所属していた陸上部は変なもので、長距離しかないんだ。僕が800メートルをやらせてもらえるのは、三年生になってからなんだ。確か、高校三年生の6月頃の大会で、兄が高校時代に出した記録を抜いたんだ。(29) 

T:初めて兄に勝つという体験だった。(30) 

C:それで、僕は実感したんだ。兄は大したことはないって。兄ができることは僕にもできるって思うようになった。大学も兄よりもいい所に行こうと決めていた。兄は英語を専攻していた。だから僕も英語を専攻した。そして、まあ数字の上でということだけれど、兄が行ってた大学よりもわずかに偏差値の高い大学に僕は合格したんだ。それから、大学に入って、僕は兄がバイトしていた店で同じようにバイトするようになったんだ。それがD店だ。兄よりも一生懸命に働いた。D店の店長は兄よりも僕をすごく評価してくれたのを覚えている。それから父の仕事の手伝いだ。今でもアルバイトで現場に行っているやつだ。兄もそこで働いていた。そこに同じように僕も行くようになったのだ。ある時、現場から帰る途中、父が「兄よりも順司の方がよく働く」と言ってくれたことがあって、僕は「やった」と思った。兄がギターを弾く。僕も同じようにギターをやった。そして、兄よりも上手くなるということが目標だった。自分で言うのもおかしな話だけれど、ギターは僕の方が上手い。兄はせいぜいいくつかのコードをストロークするだけなんだ。フレーズを弾くということができないんだ。僕たちは作曲も始めた。兄よりも絶対にいい曲を作ろうと、僕は賢明だった。作曲のことや、コードのことを勉強したよ。(31) 

T:あらゆることであなたはお兄さんを追い抜かなければならなかったんですね。(32) 

C:そう、すべてにおいて、兄よりも勝らなければ、僕は自分に価値がないというように思われていたんだ。そうして、僕はいろんなことで兄を抜いて行ったつもりだった。でも、そこまでだったんだ。(33) 

T:そこまでとは?(34) 

C:いろんなことで兄を抜いて行った。もう兄が脅威でなくなったし、とても偉大な人間でも何でもないということが分かってきた。兄にできることは僕にもできる、そこには差がないとまで思えるようになった。子供時代に、喉から手が出るほど望んでいた状況がやっと実現したんだ。僕もまた家族の期待の星になっていったんだ。それを達成していって、僕はその先に何もないということを知った。その瞬間に体験したのは、絶望感だった。僕はいろいろあがいたけれど、僕の中で生まれた虚無感はどうすることもできなかった。徐々に気づいていったことは、僕が兄の人生を生きていたということだった。自分の人生を送ってきたという感じがしないんだ。そして、僕は自分がないということに気づいてった。何一つとして、僕は自分のために何かをしただろうかと思う。(35) 

T:常に兄を意識していて、兄がしていたことをあなたもする、そして目的が達成できれば、もうその先は何もなくて、自分の人生は何だったろうって絶望するような感じを体験されたのですね。(36) 

C:その直後だった。僕がおかしくなっていったのは。少しずつ、僕は調子を崩していった。生活がまるで砂嵐のようだった。僕は一つ鮮明に覚えていることがある。それは当時見た夢なんだ。その夢で、僕は通りを歩いている。すると、何人かの人間が僕に機関銃を連射するんだ。映画「俺たちに明日はない」のラストシーンのように、僕は銃で撃たれまくる。弾丸がいくつも僕の体にめり込む。肉片は飛び散り、血が散々に流れる。撃たれている僕は、自分が撃たれているということを見ている。そして、僕の体が鉛になっていくんだ。肉片が飛び散り、かつて僕の肉体だった部分が弾丸で埋め尽くされ、僕の体が鉛になっていくんだ。不思議なことに、夢の中で、僕は自分が鉛になっていくということを意識しているんだ。実際、身体が物凄く重たくなっていくような感覚があった。目を覚ました時、ひどく苦しい思いがした。単なる夢だと僕は思っていた。その時は深刻に考えなかった。その数日後、僕は人の居る場所が怖くなり、大学に行けなくなり、それからしばらくして声を聴くようになっていった。大学に行く、今まで平気だった場所が途端に怖くなるんだ。そして、教室は特に苦しかった。突き刺さるような視線を体験するんだ。キャンパス内も大体の場所は苦痛だった。突き刺さるようなものを常に感じていた。それから大学には行けなくなっていく。いや、行かなくなっていくと言った方がいいかもしれないな。とても怖い場所になってしまったんだ。それでも最初の内は、大学が怖かったけれど、人通りの多い繁華街なんかは大丈夫だった。繁華街でも、その内、僕は突き刺さるものを体験していった。それで、僕は逃げなければならなかった。安全な場所を僕は求めていた。でも、それはどこにもない。(37) 

T:生きた心地がしなかったことでしょうね。(38) 

C:それから前にも言ったように、僕は酒に溺れていく。酩酊してしまうと、突き刺さるもの、視線や声が消失していく。それらが消失する度に、僕は自分がまだ大丈夫なんだって思える。でも、それは酔いが回っている間だけだ。だから、酔いを醒まさないように、続けて飲まなくてはならなかった。そして、当然、酒に耐性ができてくるので、だんだんと量が増えていく。ちょっとやそこらの量では、怖い物が消失しなくなっていくんだ。だから、もっときつい酒を、もっと大量に呑むようになってしまった。(39) 

T:そろそろ時間なのでここまでにしましょう。聴いていて、あなたが何か間違ったことをしたとは思えない。そういうこともいずれ話し合っていきましょう。(40) 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

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