<自己対話編―10> 平成24年6月10日 

 

<対話> 

C:今日もこの対話編ができる。とても嬉しい。これをやるのが今は一番楽しい。僕はここで一人で二役をこなしている。Cは僕自身だ。Tは特に意味ある存在ではなかった。Tはあくまでも合いの手を入れるだけの存在だった。一応カウンセラー役と言う意味でTと表記しているけれど、カウンセラーのようには動いていないし、僕はそれを期待しているのではなかった。あくまでも僕が回想して、想起して、連想をしていく上で、補助的に言葉を挟むだけの存在だった。区切りをつけるためのものだったし、連想が停まった時には、Tと短いやり取りなんかを挟んでみたりもした。Tは重要な役割を担ってはいなかった。でも、それを今後は考えていこうかなと思っている。(1) 

T:どういうこと?(2) 

C:もう少し、Tに深く関わって欲しいと思うようになってきたんだ。夕べ、以前来られていたクライアントのことを思い出した。あまり他人のことは書けないけれど、その人がとても淋しい子供時代を送っていたらしくて、架空の友達と遊んでいたということを話していた。僕はそれを思い出した。ここでのTも架空の存在なんだ。その架空の存在と僕は関わっている。友達のいない寂しい子供が想像上の友達を拵えて、その友達と遊んだりするのと同じことを僕もしているのだなということに気づいた。でも、それが想像上の存在であるかどうかは関係ないことなんだ。現実の相手であれ、想像上の相手であれ、その関係が等価であればいいのではないかと思うようになったんだ。(3) 

T:人格的な関わりがあるのであれば、現実の対象であれ想像上の対象であれ、同じことではないかということ?(4) 

C:そうなんだ。だからTともっと人間的に、人格的にと言っていいのか、そういう関わりをしていくことができればいいのじゃないかって思うようになったんだ。だから、Tがもっと人間的に、人格性を帯びてくるようになれば、僕のこの対話編は生きた対象との対話と同じものになっていくのではないかって思う。(5) 

T:生きた関係を築いていきたいと願うようになったということだね。(6) 

C:そうなんだ。あくまでも一人二役でやるということを決めていたんだけれど、一人で二役しなければということをとても意識していたように思う。現実にはそれがどこまでできていたか分からない。Cは僕でありTでもある。Tもまた僕でありCである。これは変えようがない。変えようがないけれども、僕とTをできるだけ切り離してみようと考えている。どうやってやるかははっきり決めていないけれど、それにそれがそんなに簡単にできることとも思えない。(7) 

T:生きた人間に語りかけるように、これをやっていけたらなあと思うのですね。そのためには自分とは異なった対象としてTを設定する必要がある。(8) 

C:TはTで独立した存在だと見立てようとしているんだ。(9) 

T:あなたはそうして失った対象ともう一度関わろうとしている。(10) 

C:対象と関わるということがどういうことか、僕の勝手な印象だけれど、多くの人は理解していないのではないかと思う。この対象というのは、各自が内的に抱えているものなんだ。内的な対象と関わることができないので、多くの人は虚無なんだと思う。そういう人は内的なものに関わるより、外側のものにばかり関わっている。(11) 

T:あなたには他の人のことがそのように見えているのですね。それは具体的に誰なんでしょうか。(12) 

C:誰と言われても、特定の誰かを想定して言っているのではない。でも、僕がこういうことを言う時、そこで想定されているのは、昔の僕なんだ。(13) 

T:昔のあなたは自分と関わることがそれだけ少なかったように思う。(14) 

C:そう。そのために僕は自分が何であるか理解できなかった。自分の内側で生じていることを抜きに外側で生じていることと折り合いをつけようとしてきたんだ。だから僕のしてきたことの大半は間違ったことだったと今では思う。(15) 

T:例えばどんなことがあったのだろう?(16) 

C:自分の中を見ないから、外に合せようとしてしまう。外側にあるものがどんなものであれ、僕はそちらの方に合せようと思っていた。そして、正しいのは外側で僕の内にあるものは正しくないものだと思っていた。(17) 

T:自分の中にあるものには価値が感じられない。(18) 

C:実際、価値なんて考えることもできなかった。外側がどんなに間違っていたことでも、僕はそちらの方が正しいと信じていた。(19) 

T:間違っていたのは誰だったのでしょう。(20) 

C:家族や、他の人たち。僕が子供時代に出会った多くの人たちだ。彼らは僕を理解してくれていただろうか。僕のことを理解せずにあれこれ言ってきたのではないだろうか。僕のことを知らないで言っているということは、彼らは平気で彼らの中にあるものを僕に適用しようとしていたということなんだ。僕はそれに無条件に従う。押し付けられたものをそのまま受け取るという感じだ。(21) 

T:それを具体的な体験で述べて欲しい。(22) 

C:何か一つ取り上げることができればと思うのだけれど、思い出すといろんなエピソードがドッと押し寄せてきて、僕の中で納まりが付かない感じがしているんだ。少し一服して、考えてみる。(タバコを一本)。具体的な体験となると、話すのが難しいね。でもそういうことをしていかなければ、観念的な事柄ばかりを語るようになるだろうし、それも良くないことだ。(23) 

T:確かに一つだけということではないでしょう。いくつも無数の体験があるから、あなたはそれだけ苦悩してきたのだろうと思う。(24) 

C:そんな風に思ったのは、やはり小学3年生頃だっただろうな。それ以前の僕はいろんな症状を出していた。順番なんて分からないけれど、水恐怖があった。お風呂やプールがすごく怖かったし、海なんかは恐ろしいの極地だった。針や刃物が怖かったという時期もあった。その頃は散髪はおろか、爪も切ることができないところまでいったんだ。注射の思い出もある。小学生の頃は予防接種とかあるだろう。僕はあれがとても怖かった。怖くて泣いた。でも、周囲は痛いから僕が泣いたのだと勝手に解釈している。(25) 

T:でも、本当は違う。(26) 

C:あの注射針が怖かったのだ。僕の体に穴を開けて、異質なものを僕に注入するあの感じが怖かった。外側のものを強制的に入れられるような体験だった。だから針を刺されることよりも、注射器の中身が入ってくることの方が怖かったんだ。僕はそれを見ている。生きた心地がしなかった。それでいつも泣いた。外側の物、自分の属していない物を無理矢理入れられるということが、どれほど怖いことであるか、誰も分からないんだ。(27) 

T:自分の中に入り込んでくる感じ。(28) 

C:それを僕はどうすることもできない。これほど暴力的なことはないって、未だに僕は思う。それから何だっけ、そうそう、心身症もやった。小学2年生の時だったな。全身に蕁麻疹が出て、入院したんだ。母も医者も、僕が食べた物が悪かったのだろうと言って、それで片づけてしまったんだけれど、僕はあれは心身症だったと自信をもって言えるんだ。と言うのは、3年生で不登校をやらかしたからなんだ。それ以前にもさまざまな恐怖症があって、その後で不登校をやり、さらにその後は空想に逃避して、大学時代に視線恐怖や幻聴のような体験をしているのだ。それだけ身体的なものだとは思えない。(29) 

T:周囲は体の病気だとして捉えたわけだけれど、あなたにはきっと心のことがもっと関係しているはずだと思う。(30) 

C:もうずいぶん昔の話なので、根拠を示すこともできないのだけれど、ただ、当時の生き苦しさを考えると、純粋に体の病気だと思えないんだ。でも、母たちはその前に僕が食べた物が原因で蕁麻疹を出したと、今でもそう思っているんだ。(31) 

T:すごく簡単に片づけられたような感じがする?(32) 

C:安易すぎる。僕は今ではそう思う。なぜ、もっと踏み込んで僕のことを考えてくれなかったのだろうと思うね。表面的なことを捉えて、それで分かったような顔をして、それで済ましてしまう。彼らはそれで済むけれど、僕の中ではずっと違和感が残り続けるんだ。僕はそれで片づけることができなかった。それから小学3年生の不登校もある。僕は学校に行けなくなった。行くのが怖くなった。当時、親がカウンセラーなんかの所へ僕を連れて行ってくれていたらと思う。母は何をしたと思う。玄関先でぐずっている僕に、頭から水をぶっかけたんだ。ものすごいショックだった。今では、母もガマンの限界が来ていたのだなということが多少は理解できるのだけれど、当時は何もかもが終わったような体験だった。(33) 

T:もっと聴かせて。(34) 

C:毎朝のように、僕は登校を渋っていた。母は無理矢理僕を自転車に乗せて、学校まで連れて行ったりした。そういうことが何日も続いていたように思う。よく覚えているのは、小学校の校門に担任の先生が迎えにきてくれたことなんだ。自転車で連れられる。担任の先生が校門の所で僕を出迎える。自転車から下ろされた僕は、先生に連れられて教室に行く。その途中、先生が僕の靴ひもが解けているのに気がついて、結んでくれる。僕の足元に先生がしゃがんで、ひもを結んでくれたんだ。きっと、先生は親切でそうしたつもりだと思う。僕がどんな怖い思いだったか、先生が知ったら驚くのではないだろうか。(35) 

T:あなたはそれをとても怖い体験として覚えている。(36) 

C:不意に先生が近づいてきた感じがしたんだ。僕は当然怖くなって身構えて、キッと身体がこわばっていただろうと思う。そして、先生が僕の足元に屈んでいるんだ。本当は「先生、早く離れて」と言いたかった。(37) 

T:距離を置いて欲しいって。(38) 

C:僕の、何て言うのかな、領域みたいなものをもっと守ってくれって、そういう感じだったな。(39) 

T:そうして不意に踏み込んできて、外側のものがあなたに一方的に押し入れられてしまう。それはとても怖い体験として残っている。(40) 

C:そういうことが怖かったんだ。あと、拒食症みたいになったこともある。給食が食べられなくなるんだ。お腹が空いてないとか、嫌いな献立が出たとか、そういうことではないんだ。みんなはそんなふうに思っていたのかもしれないけれど、そうではないんだ。食べようとすると、喉に通らない感じがするんだ。喉がつっかえるというのかな。もちろん、みんなは信用しないよ。なぜなら、そんな風になるのは決まって学校給食の場面だからなんだ。家で食べる時はそういうことが起きなかったから、だから、本当は食べられるのに食べようとしないんだとみんな思い込んだんじゃないだろうか。(41) 

T:本当はそうではないのにね。(42) 

C:食べようとするんだ。でも、いざ食べようとすると、喉につっかえる感じがあって、そこから先に送り込めないんだ。それで、お昼休みに兄が呼ばれていたから、あれは僕が三年生までの時期だったな。それから、言葉が出なくなるということも度々経験した。これは以前も話したけれど、何かを言おうとして声が出なくなる、話せなくなるんだ。僕の意志に反して、そういうことになるんだ。(43) 

T:それで先生たちはあなたが答えられないのを、問題が難しいとかいうように勝手に思い込んでいたということでしたね。(44) 

C:そう、問題が難しいのでもないし、恥ずかしいのでもないんだ。いや、恥ずかしいという感情は多少はあったかもしれないけれど、その時になって何も言えなくなるんだ。一度言えなくなると、次に言うタイミングが難しくて、その時に恥ずかしい感情も体験していたように思う。確か担任の先生が厳しい人で、僕が何も言えないでいると、僕を立たせるんだ。僕が何か言うまで立たせるんだ。それで、一週間くらい立ちっぱなしで授業を受けたことを覚えている。(45) 

T:朝から終わりまで立ちっぱなしで一週間も。(46) 

C:そう、そういうことが何回もあった。いつもそれがどういう風に終わっていたのかな。覚えていない。最終的に僕が何か言えるようになって終わることもあれば、先生の方が諦めて僕を座らせることもあったように思う。それで、みんな思うのだ。僕は問題児でわがままだって。でも、僕はそれをどう周囲に伝えていいか分からなかった。こういう経験があったので、フロイトの著作に、僕は救われたような気持ちになったんだ。あの本にある症例はどれも他人事のようには思えなかった。昔の僕をそのまま見ているような気分を体験したのを覚えているよ。それはともかく、その時、小学3年生までの間に、僕はいろんな症状を出していたんだ。(47) 

T:それで誰もあなたに具合の悪いことが起きているとは考えてくれなかったのですね。(48) 

C:そう、我がままだとか、訳が分からんとか、あるいは勝手に一方的にこうだって決めつけたりとか、今から思うとみんないい加減なものなんだなって思うよ。それで夕食の時間というのがある。あの時間は僕には耐えられない時間だった。その時間、家族が全員揃うんだ。父と母が向かいに座って、僕の隣に兄がいる。みんな黙々とご飯を食べている。でも僕だけはそこに張りつめた空気が感じられた。誰かが口火を切る。母か兄だ。「今日、順司が」、その一言で、緊張感はぐっと高まる。僕の名前が出てきたら、それは決していい知らせではないのだ。だから父の緊張感が一番に高まった。母や兄は既に知っている事柄だからだ。一々、それを父に報告する。そして、今日、僕がどういう問題行動をしたかということが、食卓の話題に挙げられるんだ。(49) 

T:あなたはそれを甘受するしかない。(50) 

C:逃げるわけにもいかないし、暴れるわけにもいかないし。ただ、僕関する話が終わるのをじっと耐え忍んでいるだけだ。どこにも僕の居場所がないってう感じだった。(51) 

T:守られている感じがしない。(52) 

C:まるで刑場に向かう気分なんだ。いつもそんな気分で夕食の席に着いた。だから食べることは愉しくないんだ。これは後々まで残ったな。人と食事をするというのが、耐えられないと思っていた時期があった。今は多少はましだ。でも、僕と一緒に食事をすると、少なくとも愉しい食事にはならない。僕はそう思っている。それはともかく、そんな時代だった。最初の苦しい時期だった。(53) 

T:あなたには気づいてくれる人がいなかったし、弁護してくれる人もいない、そういう場面をいくつも経験してきたのですね。(54) 

C:気付いた人間は一人だけいる。それは兄だ。兄はただ「順司は普通と違う」と言っただけなんだけど、少なくとも兄には僕が普通ではないということが見えていたようだ。見えていたからと言って、どうこうするわけではない。だから、僕はもういいんだって思っていた。みんなが僕をおかしいと言うのであれば、僕はおかしいのだろう。普通ではないと言うのだから、普通ではないのだろう。問題児だって言うのだから、きっと問題児だったのだろう。当時のことで、いい思い出なんて何もない。家族旅行とか行くでしょう。僕も覚えがある。でも、旅行なんて恐怖以外の何物でもなかった。それは僕の終わりを意味するように思われていた。この旅行は僕を捨てに行くためのものだって、真剣に体験していたんだ。だから、後年、親がいろんな所に僕たちを連れて行ってあげたなんて言うのだけれど、僕はどこに行ったかなんて全然覚えていないんだ。(55) 

T:それどころではなかったのですね。(56) 

C:だから、今でも独り旅以外の旅行は辛いと思ってしまうのかもしれない。(57) 

T:では、そろそろ時間になりましたので、ここまでにしましょう。(58) 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

 

 

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