<自己対話編―4> 平成24年6月4日 

 

<対話> 

C:今日もこの対話編ができる。今の僕にはこれがとても楽しい。一時間タイマーを設定して、きっちり一時間この対話作業をする。誤字や脱字があっても構わない。それを後で校正する。本当はここで一日終えて、翌日、この対話を分析したいのだけれど、毎日やりたいと今は思っているので、朝のうちに書いて、夜に分析をするということをしている。朝に一時間、夜に一時間これのために時間を割いているけれど、全然苦にならない。それと対話を始める時には何も準備をしない。今日はこれについて書こうとか、前回の続きをしようとか、そういうことは考えない。行き当たりばったりで綴っていく。その方が心の動きが見られるのじゃないかなと思って、そうしている。それで今日なんだけど、夢を見た。でも、夢がどんなだったかもう忘れてしまった。朝起きた時はまだ覚えていたのだけれど、すぐに母と話をしたんだ。母に用事があったのでね。母が出勤するまでにそれを終えておかなければならなくて、起きて一番にそれをしたんだ。そうすると夢を忘れてしまって。せっかく心が見せてくれた夢なのに、心に対して申し訳ないような気分に襲われた。(1) 

T:母には何を伝えたかったの。(2) 

C:明日からのことだ。明日、Yさんと旅行に行く予定をしている。そのことを母に伝えておかなければならなかった。今日のうちに用意する物とかもあったしね。それに僕の腎臓のことも伝えておいた。母はあまり心配していないようだった。それも仕方がないか。この腎臓だって、今すぐどうこうなるとかいう話ではないんだ。今の内に生活を改めないと20年後には透析生活をするようになるかもしれないということだから。(3) 

T:お母さんにもっと心配して欲しい?(4) 

C:多少はその気持ちもあった。でも、僕自身悲劇の主人公みたいな感じになるのは嫌だったし、子供のように母に心配して欲しいとも思っていない。母はあまり共感能力が高くなくて、そのために僕はとてもしんどいことも体験してきた。でも、母を責める気にはなれない。母にも限界があるし、欠点だってある。母も人間だから僕は他の人を許すように母のことも、同じく父や兄のことも許そうと決めたんだ。みんなごく当たり前の人間なんだ。当たり前の人間に神のような完全無欠を求めていた僕が間違っていたと、ある時悟った。これに気づいた時はすごくショックだった。考えてみれば当たり前のことなんだけど、その当たり前のことがどうしてもわからずにいた。僕が20代後半の頃だったな。それ以来、周囲の人や家族を責める気持ちがなくなっていった感じがしている。(5) 

T:親も普通の人間だったって認めることは勇気のいることですね。(6) 

C:そうなんだ。親の欠点を見ることは本当に苦しいことだ。そしてどうして親にこんな欠点があるのだろうとか、親を責める方が楽な生き方であり、子供っぽい生き方だと僕は知っていった。僕が最初にカウンセリングを受けた時、その時の臨床家は男性でN先生というのだけど、N先生のことは好きだし、僕は尊敬もしているのだけれど、でも、精神分析について間違った理解をしていたと今では気づいている。このカウンセリングは一回が8000円だった。一応大学生だった僕にはこれを支払うのはけっこう厳しかった。でも、親に金を出してもらうわけにはいかないから、僕は自分でアルバイトをしてこの費用を稼いだのだ。この時、N先生が少し料金をまけてくれたんだ。それがすごく助かったんだ。だから僕も経済的に苦しい人にはそういうことをしてあげたいと思うようになった。でも、これも間違いだということに今は気づいている。料金をまけてあげて裏切られるよりかは、そういう人と初めから関係を築かない方がいいという感じに今はなっている。裏切られた時には僕はすごく傷つく。もちろん、僕のカウンセリングに何か問題があるから彼らが裏切るのだという点もあるのは確かだ。でも、自己弁護するつもりではないのだけれど、本当に僕の方だけがそんなに悪いのかという気もしている。そういうクライアントは他にも人を裏切っているものだと僕は信じているし、中にはそういうことがはっきり分かる人もあった。だからそういうことはしたくない。料金をまけることよりも、裏切られるということに、僕は耐えられない思いがする。(7) 

T:人の犠牲を何だと思っているんだということ?(8) 

C:そういうことだ。僕は自分の取り分を差し引いてまでその人を援助したいと思っていた。頼ってきた人は断らないでおこうという気持ちでいた。でも、僕は僕の良心が踏みにじられるような思いを繰り返し体験したんだ。もうウンザリだって思うね。(9) 

T:あなたはそれで何度も傷ついて、自分を守りたくなっている。(10) 

C:そうなんだ。僕はそれが悪いことだとは思わない。僕は彼らと縁を切った。平気で人の親切や良心を裏切る人たちのことだ。縁を切った人の中にはネットで僕を悪しざまに言う人もいる。それでも尚、僕は自分を守ることを選ぶ。彼らにどんな理由があり、その理由は同情や共感を呼ぶものであったとしても、僕は自分の方を大切にする。自己犠牲なんてくだらないと今では思っている。(11) 

T:彼らに対してはすごく腹を立てているんですね。(12) 

C:腹も立つよ。確かに僕がカウンセリングを受けた時、料金を割り引いてもらった。それはすごく助けになった。多少の貯金もあったけれど、このカウンセリングですべてを使い果たした。でも、僕はそれで良かったと今では思う。もっとも、その後、すごく怖くて苦しい時期があったのは確かだ。何度もN先生で良かったのだろうかとか、僕のカウンセリングは失敗しているのじゃないだろうかと心配になった。今の僕にはこういうことが理解できているのだけれど、当時はそういうことをN先生には言えなかった。本当は言ってもいいし、言った方がカウンセリングが促進されるということも分かっているのだけど、当時はとてもできなかった。N先生を信用しているというのもあったし、そういう悪いことは言ってはいけないと信じ込んでいたからなんだ。(13) 

T:あなたにはそのN先生がとても良かったんですね。(14) 

C:その思いは今でも変わらない。N先生が間違っていたとしても、N先生個人を恨む気にはなれない。N先生を選んだのは僕だ。だから責任は僕にあると信じている。そのN先生がある時、君がこうなったのは親にも責任があるのだから、料金を親に負担してもらってはどうかと提案された時には、僕は絶望的な気分に襲われた。そこはN先生に分かって欲しかったところだ。このカウンセリングは親と関係なくやっていきたいという僕の気持ちを理解してくれていなかったんだ。N先生もまた「問題のある子は問題の親が作り出す」式の考えに馴染んでいたような節がある。僕もその考え方の感化を受けた。N先生の影響もあっただろうと思う。僕はずっと親を怨みたい気持ちでいっぱいだった。それで20代の後半のことだ。当時の僕はバイトで食いつないでいた時期だ。バイトの同僚なんかとお喋りをしていて、そこでは誰も親のせいでこうなったなんて言う人がいないということに気づいたんだ。彼らは僕より年下だったのに、誰一人そういうことを言わなかったんだ。僕は彼らの方が大人に見えたね。僕は自分がこの年にもなって、子供時代の親への不満を持ち続けていることが異常なことのように思われた。僕は自分がいかに子供っぽくて、駄々っ子のように親の不満を抱き続けているか、イヤというほど思い知らされた。それから僕はこれを脱するようにしていった。(15) 

T:どうやってそれをやったの?(16) 

C:当時はI先生と面接をしていたのだけれど、それも活用した。それと、同じ時期だったと思うけれど、ある時、父親がひどく弱ったなと感じたことがあった。それもそのはずで、子供時代に僕が見ていた父親と今現在の父親とが同じであるはずがないんだ。父もまた20年近く年を重ねているんだ。弱った父を見て、僕はこの人を恨んではいけないという気持ちになった。僕の中にある恨みの方が問題なのだって、初めて体験したんじゃないかな。この恨みがきちんと処理できているのかどうか、自分でもよく分からない。しかし、かつてほど親を恨んで生きてはいないというのは確かだ。僕にこういう経験があるからアダルトチルドレンのような考え方には反対なんだ。彼らは親を攻撃したいだけ、あるいは、親を自分の望む姿に変えたいだけという感じがして、自分自身はまったく変わろうとしないという印象を僕は受ける。僕から見ると、ひどい甘えっ子だという感じがすることもあるよ。少々厳しい見方かもしれないけれど、僕は一人の人間が生きていくのはそれほど生易しいものではないと信じているんだ。この厳しい作業を一人一人がやっていかなければならないのだなと思っている。僕もまたその作業途上にある。自分が完成された人間だと豪語するほど、僕は自惚れてはいないつもりなんだ。(17) 

T:あなたは自分が苦しい体験をして乗り越えようとしてきたから、そういう人たちを見ると許せないような感じに襲われるのですね。(18) 

C:そうなんだ。彼らにも気づいて欲しいと僕は思っている。もちろん、未だに僕が過去を恨んでいるから彼らを許せない気持ちになっているという可能性もあるだろう。僕にはそれははっきりとは分からないんだ。自分が駄々っ子のような真似をしているということを知るのは本当に辛いし、受け入れがたいものだ。それを苦しみながらも僕は受け入れようとした。成功したかどうかは問わなくても、少なくとも僕はそれをやってみようとした。(19) 

T:あなたは大人になっていくことを選んだ。(20) 

C:自分ではそう思っている。N先生とのカウンセリングで、親から費用を援助してもらってはという提案を退けたのも、このカウンセリングの費用は自分で稼ぐと決めたのも、今から振り返ると親離れのプロセスだったように思う。N先生にはその部分が見えていなかったかもしれない。だからN先生の提案はもう一度子供時代に、親の庇護下に入りなさいと言っているようなものだ。僕にはN先生の提案を拒否したのは正しかったと思えている。確かに、当時の僕としては、親に援助してもらった方が助かるだろうなという気持ちも一方ではあった。でも、それをしたらそれまでのことは何だったのだろうという気にもなっていた。ひどく葛藤したものだ。今、兄のことも思い出した。ある時、兄が僕の方が親から大切にされているとか、自由にさせてもらっているとかいうことを家族に言い始めた。何歳くらいのことだっただろう。兄が最初の職場にいた頃だから、兄が20代半ばくらいの時期だったのではないだろうか。僕から言わせれば、よくそういうことが言えるなという感じだ。でも、どうやら兄はどこかのカウンセラーに感化されたようだった。兄がそんな風に考えるのも理解できないではない。でも、今の僕に分かるのは、そのカウンセラーもまた間違ったことを兄に対してしていたのだということだ。僕に似たような経験がN先生のカウンセリングを受けていた頃にある。自分の子供時代を振り返っていって、僕がいかに親とのことで苦しんだかが見えてきたんだ。それで親に向かって、あの時母はこんなことをしたとか、あんなことを言ったとかいうことを言い始めたんだ。親は僕がカウンセリングを受けているということを知らないから、きっと順司が変なことを言い始めたと感じたことだろうと思う。当然、親には僕の言っていることなど理解できなかった。これは当然のことなんだ。親から見えているものと僕から見えているものとは違うからなんだ。それよりも、子供時代のことを、20何歳かの僕が親に責任を求めていると言うこと自体が、今では異常なことのように思えている。(21) 

T:それは間違っている。そういうことはしてはいけないのだということ?(22) 

C:それは僕の中で処理すべき事柄だったんだ。親を巻き込む必要などなかったんだ。もし親を巻き込んだとしたら、僕はいつまでたっても親の支配下に置かれることになるんだ。N先生のしたことで間違っていること、それも僕にとっては大きな間違いであったのだけれど、その一つがそれなんだ。親に責任を求めても仕方がないということなんだ。僕の一生なんだから、僕がそれを内的に処理していく必要があった。そのことが理解できるまでに、僕はおよそ10年近くかかったんだ。(23) 

T:今はN先生の誤りを指摘したくなっている。(24) 

C:僕にとっては大きなことだったからね。でも、N先生その人はすごく好きだった。僕はその後、僕もN先生のようなカウンセラーになりたいって先生に言ったんだ。そしたら、N先生はうちで働いて経験を積むといいと言ってくれたんだ。それだけではない。ある時、N先生と一緒に呑みに行って、先生の行きつけの店で僕のことを紹介したことがある。その時、N先生は「寺戸君と言って、新しく入った人。僕の跡継ぎにしようと思っている」って紹介してくれたんだ。酒の席とは言え、先生が僕のことをそこまで高く買ってくれたことがすごく嬉しかった。僕の人生で、後にも先にも、僕のことをそこまで評価してくれた人はN先生だけだった。(25) 

T:拒絶されることを恐れていたあなたにとっては、とても嬉しいことだったでしょうね。(26) 

C:それは言葉では言えないくらいだ。僕にはそれだけの価値があるっていう感じがしたのを覚えている。父親でさえ、僕にそれだけの期待は寄せていなかったと思う。でも、その後でN先生と決別することになるなんて。当時は少しも思わなかった。そういう予感さえなかった。N先生のクリニックでは、およそ3年間在籍したのだけど、僕はそこをリストラされた。最後の方では、N先生と僕との考え方の違いを、僕ははっきりと自覚するようになっていた。N先生のようにはできないし、N先生のやっていることをそのまま引き継ぐつもりもないという気持ちになっていた。(27) 

T:自分の考えでやっていきたいって思ったのだね。(28) 

C:そう。だから矛盾しているように聞こえるかもしれない。N先生の考え方ややり方には間違ったところがあったと言っている一方で、僕のことを高く評価してくれて嬉しいということを言っているわけだし、間違ったことをしたと言っていながら、一方で尊敬もしていると言っているわけだから。(29) 

T:両方の感情がある(30) 

C:もう少し言うと、N先生のある部分は間違っていて、別の部分は尊敬できてっていう感じなんだ。(31) 

T:N先生のいろんな面を見ようとしている。(32) 

C:そうやってN先生のことで体験していた葛藤を解消しようとしていたのかもしれない。でも、こういう見方ができるようになったということは僕にとっては大きな前進だった。なぜなら、一人の人に対して、好きか嫌いかの二分法で関係を築くと、その関係は非常に脆いものになるということを僕は経験的に知るようになったからなんだ。現実にはN先生とは接点もない。でも僕の内的なN先生とは決別後も関係を築いていたように思う。抽象的な言い方かもしれないけれど。(33) 

T:あなたはそうやってN先生を克服しようとしてきたのですね。(34) 

C:けっこう訣別した時は辛かったから。そのしばらく前から、僕の中では葛藤が始まっていたんだけど、決別後も葛藤していったように思う。いつからN先生が過去の人になっていったのか、はっきり日時を述べることはできないけれど、今ではN先生とは違ったやり方、違った生き方をしている。(35) 

T:N先生のコピーではなく、あなた自身で生きようということでしょうか。そろそろ時間なのでここまでにしておきましょう。(36) 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

 

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