<自己対話編―5> 平成24年6月5日
<対話>
C:今日も夢を見たけれど、詳細を忘れてしまった。働いている夢だったなということは覚えている。僕の内面で何かが働き始めているのだなという印象を受けた。そのことが分かるんだ。昨日はYさんと会った。僕は妙にイライラした気分に襲われた。彼女が悪いわけではない。彼女はちょっとしたきっかけと言うか、引き金になっていただけで、このイライラは僕の内面的な事柄から生じているものだ。一昨日はクライアントと面接している際にこのイライラを体験した。聞き分けのない子供を相手にしているような気分を体験していたんだ。でも、それも同じことで、それはきっかけに過ぎない。僕の中でイライラが生じているのだから、僕に属するものがイライラを生み出していると僕は捉えている。イライラだけではないんだ、この二、三日、焦燥感に駆られることが頻繁になっているんだ。(1)
T:それも自分の中で何かが動き始めている感じがしている?(2)
C:そんな感じは確かにする。プロセスが進行し始めているのかもしれない。何か居ても立ってもいられないような衝動感がある。今すぐにでも何か始めなければいけないような気持ちに襲われることもある。昨日もいろんなことをやってみた。部屋の掃除をしてみたり、いくつもの本に着手してみたりと。(3)
T:それは何か新しいことを始めたいような気分でもある?(4)
C:そういうことだろうな。何て言うのだろうか、今すぐ走り出したいのに、どこに向かって走り始めればいいのかわからないという感じなんだ。方向が分かっていないというような感じで、自分でセーブすることもできず、そのためにあれこれ始めているという感じなんだ。(5)
T:今のあなたにしっくりするものが、うまく見つからないし、把握できない。(6)
C:だからもどかしい感じがしている。僕自身にもどかしさを感じるのだ。それで、こういう状態の時に、今日、Yさんと旅行に行こうというのだから、何となく旅行が楽しめないのではないかっていう感じがしないでもない。前々から計画していたとは言え、旅行よりも何かに打ち込みたいという気分なんだ。旅行がその解放だとすれば、その反対のことをしたくなっている。気持ちを引き締めたくなっている。(7)
T:そういう変化とこの対話とは何か関係がある。(8)
C:きっとあるだろうと思う。内面を見つめたら、何かが動き始めるものだ。僕は経験的にそのことを知っているんだ。そして内面において何かが動き始めれば、それは日々の活動に影響するものだ。活動を通してそれが顕在化してくるものだ。今回もそれが起きているという感じがする。考えてみれば、イライラも焦燥感も心的なエネルギーを相当使うものではないかと思うのだ。そういうエネルギーが動き始めているという点では、僕はイライラも焦燥感も大歓迎なんだ。(9)
T:すごく自分を駆り立てているようなものを感じるんですね。(10)
C:そう、駆り立てられているっていう感じだな。そして、どこかで今のままではいけないとか、変わっていく必要みたいな感情を体験している。多少の憤りとか怒りの感情もこれにはあるようだ。何かと腹の立つ場面を思い浮かべることも多くなった。(11)
T:例えばどんな場面?(12)
C:うーん、昨夜帰宅途中になぜかネットの書き手のことを思いうかべたな。ネットの掲示板なんかで僕のことが書き込まれたりしている。これを偶然発見してしまう。僕自身は人から何を言われても、どう見られても構わないと思っている。物事をきちんと見ない人の意見なんて信用できないものだからね。誰もそういうのを信用しないと僕は思っている。だから何を書こうと構わないのだけれど、僕の知らない所で、つまり陰でこそこそされるのが非常に気持ち悪いのだ。それが不快なのだ。目の前で言いたいことを言ってくれる方がまだましというものだ。そして、昨日は、「彼らはいいよな」ということを考えていた。「彼らはいいよな、ラクに生きていられるだろうな、人のことを中傷したりするだけでいいのだから、自分自身を見なくていいんだから、きっと生きていて安楽だろうな」などと、考えるともなしに考えていた。帰りの電車の中でそういうことを何となく考えていたんだ。(13)
T:自分を見ようとしない彼らに怒りを覚える。(14)
C:そう他人を責めるだけの人、いわゆる他罰的な人というのはあまり好きになれない。自罰的な人が他罰的になることもあるし、他罰的な人も常にそうしているとも限らない。精神分析で言うように、罪悪感がサディズムをマゾヒズムに変えるというのは、僕自身の体験からもよく理解できるんだ。今の僕も多少は他罰的になっているのを感じる。それはどこか自分の中で不満であるとか、うまく行っていない事柄で行き詰っているとか、そういう自罰的な苦しさも影響しているように思う。(15)
T:自分が他罰的に書き手を批判しているということに気づいている。(16)
C:それは感じる。僕が何かを言ったり書いたりする時は、そういう傾向が出ていないかということを強く意識してしまうのだ。僕自身は特定の誰かを攻撃したくないし、スケープゴートにしたくない。それをするのは人格の未熟さを示すものだと思っているし、それに僕はそれをされる側の人間だったのだ。その思いがあるので、もし僕がそういうことをしたとすれば、僕は他者を通じて報復しているということを意味する。僕は報復はしたくない。復讐は避けたいと願っている。(17)
T:報復しないというのは何があるからなんでしょう。(18)
C:恐らく、最悪の事態を迎えてしまうのではないかという予感がするのだ。復讐の行き着く先は殺し合いではないかと思う。ネットの書き手はそれをやりたがっているように見えてならない時がある。僕が挑発に乗れば本当に殺し合いに発展していくかもしれないって、これは真剣に思う時がある。妄想とか不安とか、そういうのじゃなくて、僕の中では現実に起こり得ること、現実感を持って体験されているんだ。(19)
T:そしてあなたは復讐とは違った解決策を見出そうとしている。(20)
C:そう、やられたらやり返すというのは、極めて原始的な思考だと僕は思う。人類はその段階を超越したはずなのだ。文化、文明を持つことで、人間は原始的な段階から抜け出たはずなんだ。フロイトはそういうことを述べている。そしてこれは集団だけでなく、個人においても同じことがなされなければならないことなんだ。だから、そのためには何をしてはいけないかということをよく理解していなければならない。イライラしても人を刺してはいけないのだ。イライラを望ましい方向に導かなければならないのだ。よく感情をコントロールするとかって言うけれど、それはそういうことではないのだろうか。(21)
T:あなたはそうして怒りを出さないようにして、それをうまく活用できるようになろうとしている。それもかなりの無理をして。(22)
C:確かに無理をしている時もある。ネットの書き手も僕自身も、ある部分では共通しているものがある。ただ、僕の方は彼らよりも少しだけ自分のことが見えているかもしれない。彼らは憎むべき相手を間違えているのだ。僕も含めて、こういうことをしてしまう人間はいるものだ。憎む必要のない人を憎み、愛してはいけない人を愛したりする。なぜそういこうことが起きるのかと言えば、その人の内面が混乱しているからだ。だから内面に目を向ける、自分自身をもっと見ていくという作業をしていかなければならない。おそらく、この混乱はその人の子供時代に形成されたものだ。親との関係、その他の人間関係、学校や教育などとの関係で生じていった混乱のはずなんだ。だから何度も振り返り、語りなおさなければならないし、自ら気づいていかなければならない。(23)
T:あなたもそういう混乱を経験した。(24)
C:憎い相手と親交を結んだりとか、そういうこともあった。だからいじめられているのに、いじめっ子と仲良くしてしまったりするんだ。僕はそれは自分が混乱していたのだなって、今になってよく分かる。愛してはいけない人を愛してしまいそうになったということもある。若い頃、呑み屋で知り合った女性だった。酔った勢いでデートに誘った。来てくれるかなと不安だったけれど、当日、待ち合わせ場所に彼女は来てくれた。その時はそれがすごく嬉しかった。少し派手な所のある女性だった。でも遊ぶには愉しい人だろうなという感じがしていた。勝手な憶測だけど、仕事は水商売をしているのだろうなと思っていた。デートで、待ち合わせ場所にて会って、最初にお昼を食べに行ったのだと思う。午後の少し遅い時間だったけれど、彼女がまだ何も食べていないと言うから、一緒に行ったのだ。食事の後、今晩もまた仕事だと彼女は言う。それまでに何をしようかということになったのだけど、僕は彼女の好きなことをしてくれたらいいと言った。すると彼女は僕をパチンコ屋へ連れて行った。僕はパチンコは知らないから、彼女が打って、僕は隣の台に座ってそれを眺めている。まあ、驚いたね。彼女の上手いこと。一万円ほど費やして、最終的には三万円くらいにはなっていたのではなかったかな。その後、彼女は出勤する。彼女の店まで一緒に行くのだけど、着いたのは、風俗店だった。水商売と思っていたけれど、風俗嬢だったのだ。その後も彼女とは何回か顔を合わせた。行きつけの呑み屋で会うのだ。デートはその一回きりだったし、彼女とは肉体関係もなかった。彼女は決して家族のことを話さなかった。僕のことを非常に好いてくれて、幾分僕につきまとう感じでもあった。見捨てられ感が強い人だった。僕は彼女を好きになりそうになった。(25)
T:でも、その女性は好きになってはいけない人だったということ?(26)
C:そう。僕につきまとうから、僕は自分が必要とされているという感覚に襲われ始めた。つきまとうのは彼女が内的な対象を欠いているからであり、そうやってつきまとってくるので、僕が自分が必要とされていると感じて、それが何か快感に思えていたのは、僕が不要な人間だという恐れを抱えているためなんだ。だから僕と彼女との間にあったのは、愛情なんてものじゃない。お互いの病理をぶつけ合っているだけなんだ。僕の方が少し早くこのことに気がついた。だから彼女とは縁を切った。彼女の方は僕からも見捨てられたと体験したかもしれない。でも、はっきり言えるのは、この二人が関係を続けていっても、いずれは破局を迎えるだろうということだ。破滅と言ってもいいかもしれない。(27)
T:お互いの間にあったのは愛情ではなくて、お互いの病理、お互いに欠けているものを埋めあうような関係だったと今では気づいている。(28)
C:そう、彼女のような女性とは上手くやって行けるとは思えない。僕はそういう女性と縁ができてしまうのだ。見捨てられ感が強くて、境界例傾向のある女性と縁があった。だから、僕が好きになってしまいそうな女性は、どこか境界例の心性を有していると疑って間違いないとさえ思うようになった。それでストーカーまがいの女性とも縁が出来てしまったしね。(29)
T:どういうこと?(30)
C:これは高槻で知り合った女性だ。同じようにバーで知り合ったのだけれど、彼女のしつこいこと。バーで会った時にお喋りするくらいは何でもないのだけれど、それ以外の場所で彼女が来るようになった。僕は事務所を開設したばかりで、雑用に追われているのに、そういう女性はそういうことをまったく考慮しないものだ。自分のことしか考えない。僕がバタバタして忙しいのに、抜けぬけと職場に顔を出しては「遊ぼう」などと言う。僕が遊べる雰囲気かどうか見ても分からないようだ。そのうち、電話は頻繁になり、帰宅しようとすると事務所前に待ち伏せし、前の道路から事務所に向かって僕の名前を大きな声で連呼する。事務作業していて、何か名前を呼ばれているなと気づくのだ。幻聴が甦ったかと、一瞬思ったのだけれど、いや、確かに聞こえると。そして窓からそっと下を見ると、その女性が立って見上げていて、路上から僕の名前を呼んでいるのだ。大きな声でね。すごい恥ずかしい思いをしたね。はっきり言う。迷惑行為なのだ。一番怖かったのは携帯だった。電話を掛ける用事があったので、携帯電話を開き、電源を入れる。電源を入れた瞬間にその人から電話がかかってきたのだ。僕はびっくりしたと同時に、すごいどす黒い感情が込み上がってきたように感じたね。これが一回だけなら、タイミングの問題だったとして済ませることもできるのだけれど、二度、三度と同じことが繰り返されると、僕はたまらなく怖くなったね。僕が電源を入れると即座に電話がかかってくるということは次の二つの可能性があるということだ。一つはその女性が四六時中、ひっきりなしに僕に電話をしているという可能性だ。もう一つは、僕が電源を入れるのを見計らって電話を掛けているという可能性で、これはいわば僕を見張っているという可能性なんだ。これは本当に怖い体験だった。僕はそれ以来携帯電話恐怖症に罹ってしまった。彼女にははっきりと電話をしてくれるなと伝えたのだけど、もちろん一回言ったくらいで納まるものではない。その後も何度か電話をしてきたし、事務所に姿を現したこともある。留守番電話にいくつもメッセージを入れられたりとか、数え上げるといくつもあるのだけれど、そんなのでウンザリしてしまった。開設早々、変な女に憑りつかれたぞという気分だ。その後も、携帯電話に電源を入れる瞬間が怖くて怖くて仕方がなかった。その内、携帯電話を捨てて、それ以来僕は携帯電話を持たないようにしている。でも、これだけは言っておくのだけれど、その女性のことは好きになってはいけないということを僕は自覚していた。離婚歴があり、子供もいるその女性は、僕が好きになるような人ではないんだということを、僕はどこかで自覚していた。行きつけのバーでの顔見知りという程度の関係ならまだしも、それ以上に発展してはいけないって分かっていた。お互いの病理をぶつけ合い、擦り付け合うだけの関係になるということは目に見えていたんだ。(31)
T:その時には、あなたは以前よりもよく見えるようになっているということですね。それでは時間なのでここまでにしておきましょう。(32)
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)