6月15日:唯我独断的読書評~『美しき冒険旅行』

6月15日(水):唯我独断的読書評~『美しき冒険旅行』

 

 海外文学にのめり込んでいた時期に買い込んだ一冊で、未読だった。処分する前に一読だけでもしておこうと思い、読み始めたのであるが、たまらなく面白くなり、思わず一気読みしてしまった。

 

 飛行機事故により、オーストラリアの奥地に投げ出された姉弟の冒険譚である。姉メリー13歳、弟ピーター8歳。

 大自然広がる大陸に投げ出された二人は生きるために彷徨する。食べるものも飲み水も見当たらない。

 やがて、彼らは一人の原住民と出会う。放浪の儀式の最中のブッシュボーイだった。

 放浪の儀式というのは、男子が13歳ころになると、6~8か月間大陸を放浪し、帰還できた者のみが父親の資格を与えらえるという通過儀礼である。

 ブッシュボーイは困惑している姉弟を放っておけず、一緒に行動を共にする。

 ピーターは幼いだけに順応が早く、すぐにブッシュボーイと打ち解け、火の起こし方、魚や獲物の捕り方まで覚えていく。こうして姉弟は自然の中で自然人としての生活を始めていくのである。

 

 自然人であるブッシュボーイが素晴らしい。夜遅くまで眠らずに警戒し、夜明けとともに起きる。目が覚めるや、すべての神経細胞も筋肉組織も瞬時に目覚める。あくびをして、目をこすって、ようやく起きだすピーターとは対照的である。自然人の素晴らしさを僕は感じた。

 

 ピーターの方はともかくとして、メリーはどうしてもブッシュボーイに対して悪い感情を持ってしまう。

 最初、弟が、自分ではなく、ブッシュボーイに頼ることへの嫉妬であると彼女は感じた。

 次に、そのブッシュボーイが自分と年齢的に変わらない若い男性であるということに彼女の意識が向かう。

 しかし、ブッシュボーイが熱病で死を迎える瞬間、メリーはその感情が何かわかったのである。それは差別意識だったのだ。白人の黒人に対する差別意識、先進国の後進国に対する差別意識であったのだ。

 自分の中にある差別意識に気がついた瞬間、メリーの中ですべてのわだかまりが解消されていくくだりは感動的だった。

 

 彼らはブッシュボーイを葬ってやる。そして、彼が示した道を二人は旅することになる。あたかも、ブッシュボーイの通過儀礼を姉弟が引き継いだ形である。

 姉弟は、自然の厳しさと恵みを、荘厳さと雄大さを、身をもって体験していく。困難があってもブッシュボーイの魂が導いてくれると信じている。なんという素朴で人間的な信仰だろうと僕は思った。

 メリーもまた自然人になっていく。しがみついた赤ちゃんコアラに服を破かれても、それを母コアラに返してやるシーンは象徴的だ。自分の衣服よりも、そこには生命への尊敬があるように感じられた。

 やがて、彼らは水と緑の豊かな土地へとたどり着く。ここまで二週間近くの旅であった。ここから都会への道筋を原住民に教えられ、彼らは新たに旅立つ。

 

 以上がおおまかなストーリーである。

 自然は人を寄せ付けないと同時に、人に寝床を用意してくれる。飲み水も食べ物もどこかにある。自然はかくも厳しく優しい。

 この自然描写も優れていて、作者は現実にこういう世界を見たのだろう。原住民のことにも詳しいので、文化人類学的なフィールドワークの経験があるのかもしれない。あいにく、作者のことはよくわからないのである。

 

 本書はジェームズ・ヴァンス・マーシャルという人の書いた本である。1970年の出版とある。それから映画化もされたようであり、当時、かなり人気を博した作品であるようだ。

 僕の唯我独断的読書評価は4つ星半である。5つ星をつけてもいいくらいだけれど、すぐに読み終えてしまったところが残念だ。

 

<テキスト>

『美しき冒険旅行』(Walkabout)―J・V・マーシャル著(1970年)

(斎藤伯好訳 角川文庫)

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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