8月18日:「女性と歩く夢」 

8月18日:「女性と歩く夢 

 

<夢>「女性と歩く夢」 

 僕は未知の女性と一緒に歩いている。暗かったから夜だろう。祭りか何かをしていて、周りに出店が立ち並び、たくさんの人で賑わっていた。僕たちは、特に何かをしたというわけでもなく、ただ、その場を歩いていた。 

 

(連想と感想) 

 前日と同じく女性と歩く夢。時間帯も同じで夜だった。ただ、周囲の環境は正反対だ。前回の夢がひっそりとしていて、僕と女性の二人しか登場していなかったのに対して、今回はとても賑やかだ。 

 群衆は無意識の流れのようなものだ。無意識が動き出して、内面が流動する体験と群衆の流れとは、僕の中ではイメージ的に一致する。 

 確かに、内面の何かが動き始めているかもしれない。その代り、それは表面的にはとてもしんどい体験としてもたらされる。事実、今日は疲労感に襲われた一日だった。ただ、内的なエネルギーは溢れていて、家の手伝い、仕事、それに論文をいくつか読み、原稿も何本か書いている。 

 夢の中で、何が開催されていたのかは不明だ。祭りのようでもあるけれど、祭りをしている場面を見たわけではない。そういう雰囲気に近いという程度だ。 

 祝祭は日常から区別される時間だ。そして日常を区別する行事でもある。祭り前と後とでは生活の雰囲気に違いがある。人が調子を崩すのは、多くの場合、祭りの後だ。敏感な人は祭り前と後との違いを感じ取るのだろう。 

 僕はこの女性と関わりを築いている。夢ではお互いに会話をしたとか、一緒に何かをしたとかいう場面はまったくない。具体的には関わることができていないようだが、関係は築いている。群衆は僕たちの周りにあるというだけで、関わり合っているわけではない。 

 こうして考えていると、僕の中で動きが生じているのに、僕自身はまだその動きの渦中に入ることができていないかのようだ。動きにもっと身を任すことができれば、ラクに動いていけたかもしれないのだが、そうなれていない。それが疲労感につながっているのかもしれない。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

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