8月26日:1時間の重み
夜勤明け。帰宅後、少し寝てから、一日を始める。午前中は外回りの作業をする。予定では13時までに終えるつもりだったのだけれど、14時近くまでかかった。そのまま、昼休みを挟むことなく、午後の仕事に突入する。
昨日までの勉強会に触発されて、『精神分析精神療法の原則』(ルボルスキー著)を読み始める。以前にも読んで、繰り返し読んだ本だけれど、久しぶりに書架から引き出す。
深夜勤務で、たまたま2か月に1回の床清掃の日とかちあった。床は本部の責任範囲だそうで、この床清掃も本部の指示でなされるものだ。業者が来て、大体一時間半ほど作業して帰る。その間、およそ一時間ほど、店内は誰も入れない。2時から作業が始まって、3時半ころに終わる。その間の作業は滞ったままだった。かなり遅れをとってしまったのだ。僕は根詰めて仕事をした。それで一通り終えて、時間を見ると4時半だった。僕は一時間という時間の持つ重みと価値を再確認した。一時間前までは、あれもできていない、これもまだだと、いくつもの作業が山積みになっていたのに、一時間後には通常の4時半の状態にまで追いついているのだ。何となくだけれど、一時間前の状態とはずいぶん違うなと感じたのを覚えている。
時間を意識してみよう。タイマーをセットして、ルボルスキーを一時間読む。それも集中して、根詰めて読む。第1部(第1章~第4章)は読み終えた。思い出した事柄、再確認した事柄、新たに発見した事柄など、多くの体験をこの本から得た。一時間の読書だけど、一時間前の僕の状態との差異を感じている。
今、月曜日はそれほど忙しくない。土日もそのどちらかに集中することが多い。逆に水曜日や木曜日が忙しいことが多い。
その代わり、月曜日は普段できないことをする日となっている。今日はサイトのことを少しやった。しばらく放置したままだった。そこまで手が回らないというのが現状だった。でも、手が回らないなどと言ってなくて、時間をもっと効率的に構造化すれば、できないことではないはずだ。僕の怠慢をそうしてごまかしているだけだという感じがしている。
一方、確かにサイトのこと、ネットのことをするのは面倒だ。中途半端な待ち時間が生じ、それがけっこうイライラする。起動する時間、ページを開くまでの時間、更新して、更新が完了するまでの時間などだ。それらの一つ一つの時間は短いものだ。もっとも長いもので、サイト全体に対して更新する場合だけど、これは10分近くかかる。でも、それはそれほど頻繁にやる作業ではないけれど。
そういう例外は別にして、わずかの時間でも待たされることに耐えられないというのは、僕もずいぶんセッカチなものだと思う。どうも僕の方がコンピューターに合わせないといけないというのが耐えられないようだ。その時間にではなく。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)