6月8日:自分を理解したい
先週は職場の整頓にかかりきりでサイトの方が疎かになってしまった。今日、いくつかこのサイトのページを開いてみて、たくさんのことが中途のままだったなと改めて気づいた。
中でもブログはひどい。4月4日以来、まったく手つかずの状態だった。今日、それで6月の分を公開して、4月分の未公開だったブログ原稿を公開した。数は少ないけれど、5月分の原稿もある。それはまた明日以降、公開していく予定である。今日はそこまでこなす時間がなかった。
主サイトの方、つまり<テーマ○○>とある方も、未公開原稿が200ほど溜まっている。つまり、今現在<テーマ140>まで来ているけれど、それらがすべて公開されていれば<テーマ340>に達していたということだ。
未公開になるのにはいくつもの理由がある。事例を掲載してけれど、それが直接すぎて個人が特定されてしまいそうだと、それでもっとアレンジを加える必要があるとか、あまりにも長くなりすぎてしまったとか、最後がうまくまとめられないとか、いろいろである。
これから、少しずつでもそれらを完成させて公開していこうとしているし、新たに書いている分もある。自分でもこのサイトがどんなものになるやら分かったものではない。
一つだけ言えることは、このサイトは僕と歩調を合わせるかのように作成されていくだろうということだ。僕自身が完成されることがないように、このサイトも完成されることはないだろうと思っている。僕は常に何かの途上にある。このサイトも然りだ。僕が一つ前に進んだ分だけ、このサイトも一つ前に進む。そういう感じがしている。
2年以上も前に書いた原稿を見直してみる。既に公開されている分だ。当時はそう考えていたなというのも結構ある。それらもできるだけ今の僕の考えを交えて作り直している。過去の公開された原稿でさえ、完成されてはいないのだ。
人間を理解したい。僕という人間を理解したい。でも、一人の人間が完全に理解されうるはずがないということも僕は一方で認識している。内面に目を向けてみれば、人間は宇宙よりも広大で深淵だということが感じられてくる。ただ、少しでも深く理解したい。この意味で、心理学は宇宙工学と同じことをしているという感覚を僕は覚える。もっとも、その心理学の種類にもよるが。
僕は自分を理解したい。いくら分析を受けたり、本を読んだりしても、僕は自分を完全に理解したという境地には達することができない。もし、そういう境地に達したという人がいるとすれば、それは虚偽だ、自己欺瞞に陥っていると僕は考える。
不可能な作業に従事しているとは分かっていても、僕は自分と人間を理解したい。僕が人間であるということの証明のために、僕が存在しているということを知るために、僕はそれをしたい。僕の中にどういうものがあるのかを知っていきたい。恐らく、僕自身、よく知らない僕の一面なり傾向なりもあるだろうし、未だ生きていない部分もあるかもしれない。僕は僕自身を知っていきたい。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)