3月5日(日):唯我独断的読書評~『星屑のかなたへ』
ジェイムズ・ブリッシュの宇宙都市4部作の2作目に当たるSF作品。
舞台は32世紀。その世界ではスピンディジーという技術によって、都市がその土壌ごとそのまま宇宙に旅立つことができるようになっていた。地球上の都市が新天地を求めて宇宙を飛ぶ。
今、ペンシルバニア州のスクラントン市が宇宙に旅立とうとしている。好奇心からその光景を見に来た16歳のクリスは、警察とのトラブルから放浪都市に足止めをくうことになってしまった。家族と別れ、地球とも別れ、スクラントン市とともに大宇宙にさまようことになってしまったのだ。
スクラントン市では、手に職がない限り重労働に回されてしまう。クリスは天文学ができると、半ば大見栄を切って、どうにか天文学者の助手の地位に落ち着く。しかし、他の放浪都市との取引に利用され、クリスはスクラントン市を離れ、同じく放浪しているニューヨークの住人になる。
放浪都市では、旅客か市民かになることになる。市民になると不死薬が与えられるという。どうすれば市民になれるのか、クリスの模索が始まる。ニューヨークで彼は教育を受ける。
ニューヨーク乗っ取り計画を立てているテロ連中に挑むなど、無謀なこともするクリスであるが、どうしても市民になる道が開けない。
そんな折、アーガス第三惑星を巡って、ニューヨークはスクラントン市と契約上のごたごたに巻き込まれる。スクラントン市は、放浪都市から海賊都市にすっかり様変わりしていたのだ。そこでスクラントン市のことに詳しいだろうということでクリスに白羽の矢が立つことになった。
一連のシリーズの中の一篇であるが、一応、独立した作品である。それでもシリーズ全作を読むともっといろんな発見なり、相互のつながりなどがあるのだろうと思う。それなりに面白い作品ではあるが、シリーズ全体を概観しないと正当な評価にならないかもしれない。
物語の最後で、クリスは18歳になり(つまり約2年間の物語だ)、市民の権利を獲得するのである。ただし、地球に残した家族との再会は(少なくとも本作では)果たされない。その辺り、このラストでいいのだろうかという気持ちが起きてくる。
その他、いくつか物足りないところを挙げると、主人公が10代の若者なので、もっとアクティブなアクション場面があるとよかっただろうに、と思う。テロに挑んだ時のような行動力を期待すると、いささか期待外れになる。確かに、ラストは単独でスクラントン市に足を踏み入れていくのだけれど、それ以上の活躍が見られないのが残念という気になる。
文庫本にして200ページ足らずの本文であるので、あまり細部まで書き込めなかったのかもしれないけれど、登場人物たちの存在感がなんか希薄な気がしている。スクラントン市の警官フラッドにしろ、悪役となるシティ・マネージャー(市長なものか)のフランツ・ルツにしろ、ニューヨークでのピギーやアンダーソン保安官、アマルフィ市長など、多くの人が登場するけれど、今一つ印象に残らない感じがしている。魅力的な登場人物がいれば、この作品はもっと面白く読めたかもしれない。
しかしながら、この32世紀の世界が20世紀の延長と思える部分があり、そこは面白いと思う。渡り鳥(放浪都市)の「任意選択の原則」がプロ野球のトレードに基づいているとか、渡り鳥でも、オーキー、ホーボー、追いはぎといった区別が生まれるとかいった箇所だ。放浪者が追いはぎに身を持ち崩すということは分かるけれど、それが都市レベルでも生じるという発想はなんか好きだ。
さて、この本は僕がSFを読み始めたころに買ったものだ。20歳くらいの時だろうか。その時期に読んだきりで、内容も何もかもすっかり忘れていた、再読して何か思い出すかと思いきや、そういうものもあまりなかった。だから、初読時も同じような感想を持っていたのかもしれない。
僕の唯我独断的読書評は、まあ、三ツ星だ。すでに述べたように4部作の中で評価しないといけないんだろうけれど、単独で読んだ限りでは三ツ星くらいなところだ。
<テキスト>
『星屑のかなたへ』(Cities in Flight)ジェイムズ・ブリッシュ著(1970年)
岡部宏之 訳
ハヤカワ文庫SF<SF309> 早川書房
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)