4月11日:太ること・痩せること 

4月11日(木)太ること・痩せること 

 

 昨日はハードな一日だったけれど、今日は幾分ましだ。この後、僕は夜勤を控えている。仕事をする気にならない。副業も気分転換にはいいものだけれど、今日はそんな気分になれそうもない。 

 

 本業の方では、通常の作業に加えて、今、取り掛かっている作業が他に二つある。それに追われている。けっこうたいへんだ。忙しい。朝から夜まで仕事をして、そのまま夜勤をして、翌日、また朝から夜まで作業をする。 

 最初はきつかったけれど、最近はこういうのにも慣れてきた。どんな環境でも、人間はそこに順応していくものだと思う。何事もキツイのは最初だけかもしれない。 

 

 食生活も乱れて、最近、また太った。太るのも悪いことではない。ただ、太ると何かとしんどいように感じてしまうから、それを避けたいと思うだけだ。少し、気を付けよう。 

 しかし、人はなぜ太ったとか痩せたとかいうことにこうも拘るのだろう。僕はおそらく太りやすい体質なのだと思う。 

 小学生の頃、友達のお母さんや親せきから「太ったな」と言われることが多々あった。「太ったらアカンのかね」と言いたいところだ。そもそも、太ったと言われても、それで一体僕にどうしろと言うのだ。太るのは僕の意志ではないのだ。身体が勝手にそうなるのだから、そういう身体の自然の摂理の責任を僕に吹っかけるのは止めて欲しいものだ。今の僕ならそう答えるだろうな。 

 同じように、痩せるのも身体の自然に任せてそうなるだけなのだ。努力して痩せるわけでもない。痩せると、今度は「どうしたのですか」などと聞かれる。僕の身体に訊いてくれと言いたいところだ。 

 20代だと、痩せていると「スリム」だと見られる。40代で同じように痩せていると、「貧相」だと思われそうだ。だから年齢相応に太った方がいいのだ。誰でも年齢を重ねると、だんだん痩せにくい身体になるものだ。それは身体の自然であり、身体の知恵だと思うから、無理に捻じ曲げない方がいいと僕は思う。 

 だから「アンチエイジングなんて糞くらえだ」と思っている。若返るよりも年齢相応の良さを身に着ける方がましだと思うし、いい年の重ね方をすることの方がよっぽど魅力的だと僕は思う。 

 身体も心も、その自然な動きに委ねることがもっとできればと思う。今日、これを書いていて、僕は考えている自分しか発見しない。何かを感じている自分はいない。感情的に動くものがない。分裂病のように、感情鈍麻しているかのよう。活き活きしたものが失われているかのよう。 

 今日、僕は自分の心に触れただろうか。内面に良いことを何かしただろうか。義務や約束に追われてばかりいたのではないだろうか。こうして人は自分の感情や内面から隔離されてしまうのだろうな。それに触れないがために、それが自分にあることすら人は忘れてしまうのだろうな。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

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