4月2日(火):書架より~『メディア』(エウリピデス)
ギリシャ悲劇の中でも『メディア』は僕の好きな作品の一つだ。
ユング派の人たちは特にそうなのだけれど、精神分析をやっている臨床家は神話や昔話も大切にしている。僕もその方面のことをもっと勉強したいとは思いながらも、困ったことに、なかなか捗らないでいる。
こういう神話は神々の物語なのだけれど、そこで表されているのは人間の心であり、人間の置かれる状況である。それは現代においても見られる心であり、状況である。
まずは、『メディア』の物語を簡潔に示そう。
メディアとは女性の神の名前である。夫はイアソンといい、彼との間に二人の子供をもうけている。
イアソンは、領主の娘と結婚する。つまり、メディアと二人の子供を捨て、他の女性の元へ走ってしまうわけだ。
メディアは夫を許せなく思い、夫を恨み始める。でも、この恨みは夫のイアソンではなく、二人の子供に向けられる。メディアは二人の我が子を殺めることで、イアソンに報復する。
ものすごく簡略化した粗筋だ。興味のある方は実際の作品を読んでいただいた方が得るところ多いと思う。メディアは、我が子に憎悪を向けることで夫に復讐するわけだが、一方で、我が子を殺めることに抵抗感がある。その葛藤は痛々しいほどだ。
少し長くなるが、メディアが絶望の胸の内を吐露するセリフがあるので、それを引用しよう。
「この世に生を享けてものを思う。あらゆるもののうちでいちばんみじめな存在は、わたくしたち女というものです。だいいち、万金を積んで、いわば金で夫を買わなければならないし、あげく、身体を献げて、言いなりにならなければなりません。これがまたいっそうの災難というものです。そんなわけで、良い夫を掴むか、悪いのにぶつかるか、それが運命のわかれ路になるのです。離別するということは、女の身には聞こえもよくないし、かといって夫を拒むこともできないのですから。未知の生活習慣の中へ飛び込んで、女というものは、あらかじめ家で教えられてもいず、どうして夫を扱えばいいか、預言者ででもない限り知るすべもないのですし。ここのところをうまく切り抜けて、夫のほうでも、厭がりもせずにいっしょに暮していってくれれば、羨ましい生活と言えるのですが、でも、そうはゆかない時は、いっそましなのです、死んだほうが。男の場合には、家の者が面白くなければ、外に出て憂さをはらせますが、わたくしたち女は、ただ一人だけを見つめていねばなりません。女たちは家で安穏な生活を送っているが、男は槍を執って戦さに出ねばならないではないか、などと言いますね。大間違いです。一度お産をするくらいなら、三度でも戦場に出るほうがましではありませんか」
このメディアの嘆きの言葉が、紀元前431年に書かれたものとは思えないくらい、現代の私たちにも共鳴できるのではないかと僕は思う。そして、メディアのような女性と会うことも僕はしばしばである。「夫を愛せない」と訴えず、「子供を愛せない」と訴える母親と会うと、僕はいつもその女性にメディアの姿を見るような思いがする。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)