1月23日:僕の自己愛 

1月23日(水)僕の自己愛 

 

 夜勤明けの早朝にこれを書いている。二日連続の夜勤だった。月曜日から火曜日にかけての晩は電気の仕事の方で、屋上の吹きさらしの中、雨に打たれながら仕事をした。昨日から今朝にかけての夜勤はコンビニの方である。 

 コンビニの方は散々だった。頭がボケてきちんと仕事できなかった。いくつかヘマをやらかしている。迷惑をかけるから、あまりシフトに入らない方がいいのではないかと自分でもそう考えていた矢先に、シフトを組む担当の人から、夜勤をもう一日増やしてくれと言われてしまう。非常に迷っている。 

 できることなら仕事をしたいし、少しでも稼いで、負債を早く終わらせたいという気持ちもある。でも、一方で、小さなミスをやらかして迷惑をかけてしまうのも心苦しい。 

 ミスと言うけれど、他のバイトの人たちも同じようなミスをけっこうやらかしているのだ。それだけコンビニの業務が煩雑だからだと思う。でも、他の人たちはさておき、僕は僕自身が許せない感じを体験している。小さなミスをやらかしてしまう自分が許せなく感じている。 

 ミスをやらかして心苦しく思うというのは、僕の自己愛が傷ついたことを示している。僕は心のどこかで僕はもっとできる人間なのだと信じているのだ。その信念がぐらついてしまっているのだ。そのミスは、僕ができる人間でもなんでもないということを、僕自身に残酷なほど如実に見せつける。それで苦しく思っているのだ。 

 そういえば、僕の前の時間帯の人のミスを見つけたけれど、それは全然腹が立たない。自分のミスにはものすごく立腹する。他人のミスには意外と寛大だなと自分で思うのだが、自分のミスは決して許せない。これもまた僕の自己愛なのだ。 

 自己愛というのは、あまりいいようには思われないことが多いのだけれど、これは必ずしも自己チューという意味だけではない。健全な自己愛を人は持つべきなのである。それが不健全に表れるから問題になるだけのことなのだ。そして、自己愛は、コフートの説くように、発達していかなければならない心の部分だ 

 僕がここで述べている自己愛というのは、いささか完全主義で、自分に厳しくて、簡単に揺れ動いてしまっているが故に問題だと感じる。 

 ああ、しかし、今日のミスは少し恥ずかしいな。店にも客にも損失を与えたわけではないのだけれど、きちんと仕事を覚えていないことが露呈してしまったな。難しいとか、複雑だとか、そんなことばかり言っていないで、もう一度、コンビニの各種の作業を復習しないといけないな。最初の頃はやっていたのだけれど、本業の方に時間を取られるようになって、疎かになっていたな。 

 副業であれ、やることはきちんとやりたいと思う。こう思うこともまた僕の自己愛の表れなのだが。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

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