10月23日(木):好いてくれた人
18時からのクライアントを待っているが、どうやらお見えにならないようだ。別に無断キャンセルは構わないのだけど、いい断り方をしておかないと後で自分が困るだろうに。確かに、人間関係に不得手な人だった。
日頃から臨床家はクライアントにあまり大きな影響を与えすぎてはいけないと信じ、自分なりに自戒しているつもりだが、上手くいかないこともある。
今日、女性クライアントから僕のことが好きだと告白された。僕は前々から彼女の様子を見ていて、そうだと思っていた。告白するのも苦しいことだっただろうし、そういう気持ちを抱きながら毎週通うというのも辛かったのではないかと思う。
僕にとってもそんな風に思われることは、本当は嬉しいことなんだけれど、こうした愛情はしばしば破壊的な結末を迎えてしまうものだ。僕はその気持ちは確かに受け取ったけど、今はこの援助関係を壊したくないと答えただけだ。彼女は不服そうだった。
過去に4人ほど、僕は女性クライアントから告白されたことがある。僕がモテるのではない。みんな寂しい女性たちだった。その寂しさを僕で埋めようとしたかったのだと思う。状況が許すなら、お付き合いしてみたかったとも思うが、一線を越えてしまうとお互いに苦しむことになってしまう。だから僕は自戒するようにしている。でも、僕はその人たちのことは忘れないし、忘れられない。これだけは明言しておきたい。
昔、クリニックに勤めていた頃の話だ。女性臨床家が男性クライアントから「先生と一緒に寝たい」と言われたことがあった。そのクライアントが帰られてから、女性臨床家は激しい嫌悪を示した。
ちなみに僕はその女性臨床家が大嫌いだった。今でも嫌いだ。彼がそういう告白をしているのに、恐らく彼なりに苦しんで打ち明けたことなのに、嫌悪でもって対応しているのが許せないと思った。どうして「そこまでわたしのことを思ってくれているなんてとても嬉しいわ。でも、それはできないのよ」と言えないのだろう。
嫌悪されるなんて、彼はとても傷ついただろうと思う。
恋愛感情とは違うけれど、臨床家をあまりに崇拝したり理想化したりしてしまうのも問題である。こういう影響の受け方は男性クライアントに多いように思う。
先日来られた男性クライアントもそういう経験の持ち主だった。若い頃に受けたカウンセラーがとても良かったそうだ。そのカウンセラーさんが亡くなられて、彼はそれに代わるカウンセラーを探し求めている。幸か不幸か、僕は彼の基準に達しないカウンセラーだった。それでいい。
こういう場合、良くないのは、臨床家が余計な予言をしてしまうことだ。彼はカウンセラーから「あなたは何歳頃にこういう問題で苦しむかもしれない」と言われている。今、彼はその年齢に達しようとしている。ここで「予言の自己成就」という現象が生じる。彼は本当にその臨床家の予言を的中させてしまう。彼は無意識的にその臨床家を裏切ることができないでいるのだ。彼がその臨床家を崇拝し続けるなら、彼はその臨床家の予言を実現させないといけなくなる。そうでなければ理想化対象を失ってしまうからだ。
また、こんな例もある。これは女性クライアントだったけれど、やはり若い頃にある臨床家のお世話になったのだ。その臨床家と縁が切れたのは良かったけれど、それ以来、その臨床家の霊が彼女に纏わりついているという感じを彼女は抱き始めた。彼女は私にその霊を払いのけてほしいと依頼してきたのだ。
この女性、年配の女性だったけれど、いつも怯えていて、そして善良な婦人だった。彼女はしばらく僕のカウンセリングに通ってくれた。別に除霊をしたりはしない。霊には霊をと、僕はこういう話をした。「その臨床家の霊があなたに憑りついているとしても、その霊はあなたを苦しめない。なぜならあなたには守護霊がついているからだ。我々誰もが自分の守護霊を有していてその人を守ってくれているそうだ。臨床家の霊が纏わりついていても、あなたにそれ以上のことができないのはあなたの守護霊の方が臨床家の霊よりも強いからだ。その証拠に・・・」と続けていくと、彼女はすごく晴れ晴れとした顔つきになった。僕もまたそうして彼女に影響を与えてしまったのかもしれない。
僕を好いてくれるクライアントには本当に感謝したい。僕も同じようにその人たちのことが好きだ。今は、僕が好きになるか、もしくは好きになれそうな人しか面接を引き受けないことにしている。だから、今日、告白してくれた彼女のことも僕は好きだ。ただ、今の所、彼女の期待にそのまま応えるわけにはいかないのだ。
しかし、彼女は僕のカウンセラーとしての姿しか知らない。僕を知っていったら幻滅するんじゃないだろうか。タバコは飲むし、酒も飲む。平気で屁だってこくし、時々ズボンのチャックを開けたまま気づかないでいるし、しょっちゅう恥ずかしい失敗はするしで、まあ、幻滅させてしまうだろうな。
でも、僕が本当に望むのは、彼女が僕との恋愛を実現させることではなくて、彼女自身に取り組んでほしいということだ。自分のことに取り組む代わりに、臨床家を愛してしまう、そのような状況をクライアントに与えてしまう僕はやはりダメな臨床家なのかもしれない。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
(付記)
臨床家からしっかり愛されたクライアントはよく育つと思う。クライアントがその愛情を体験できることも重要である。もちろん、ここで言う「愛」とは、恋愛とかセックスに関するようなものではない。クライアントが臨床家に愛情を抱くことも、悪いことばかりではない。そこには望ましい体験も含まれている。ただ、それはお互いに自分の中に蓄積していく体験の一つとしていかなければならない。実現化してしまったり、一線を越えることはお互いに苦しめあうことになるものだ。
(平成29年2月)