10月3日:人生のメリハリ

10月3日(金):人生のメリハリ

 僕も「躁鬱」の波を持っている。と言っても、両端ともそう極端ではないが。それでも抑うつに落ちる時は気力が湧かず、頭が十分働かず、勘が鈍くなったり、活動が抑制されがちになる。逆に、躁的になると、気力が満ち、頭が冴え、インスピレーションが次々に湧いて来たり、神経が鋭敏になったり、活動的になったりする。本を乱読するのもこの状態の時だ。
 最近、そろそろ躁の波が来るとは信じていた。今日は休みなので一日家に閉じこもって、一日禁煙修行をしようかと計画していた。それで部屋にいて、サイトに書く原稿のメモを書いていた。ルーズリーフ4枚くらい埋め尽くし、それをすぐに文章化したくなってじっとしておれなくなり、急きょ職場に駆けつけて、一心不乱に原稿を書く。4テーマ分くらい書いた。A4用紙20枚程度を一気に書き上げる。こうして書きあがった原稿をしばらく寝かして、加筆訂正、校正をして、アップする気持ちになったら公開するという手順だ。
 躁的になるとそんな具合だ。

 僕はこの躁鬱の波を消去したいとは思わない。全般的に平板化するよりも、波がある方がメリハリがあって、生活に色彩がもたらされている感じがする。
 うつ的な時は、いわゆる静かに留まる時期だと思っている。現状維持の時期で、外に向けての活動より内に吸収する活動期だと捉えている。
 中学、高校時代は陸上部で走っていた。長い距離を走ろうと思えば、常に全力でいてはいけないのだ。スピードを上げるところと現状維持するところがある。そうした変化をつけるから長い距離を走れることができるのだ。常に平板だったり常に全力だったりすると、長距離は走り切れないものだ。
 人の生も案外そんなものかもしれない。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 気持ちや状態のあらゆる波を極度に恐れる人たちもいる。わずかな揺れ動きでもすごく影響されてしまう人たちだ。彼らはその波を失くそうとする。それは正しいことではないのだ。
(平成29年2月)

 

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