7月17日(木):議員たちの話
最近、木曜日のレギュラーだったクライアントが二人ほど水曜日に移行した。おかげで、水曜日がけっこう忙しくなった分、木曜日にいささかの余裕ができた。
サイトに掲載する原稿を書いていた。かなり溜まっている。ここらで公開しておかないと未公開原稿が溜まる一方だ。
(辞職議員と投稿者)
話のネタを探して、日刊ゲンダイを読む。この新聞、小さな記事がゴチャゴチャ集まっていて好きだ。他紙では取り上げないような小さな出来事でも小さく取り上げられたりしているのだ。
面白い記事が目に入った。ある議員が辞職したというものだ。
辞職の経緯はこうである。その議員は集団的自衛権について自説をサイトに公開していたのだが、そこにある投稿者が「戦争ならひきこもりやニートに行かせればいい」という意味の投稿をしてきた。これにキレた議員は「君こそ人間の屑だ」とやり返した。この暴言ぶりは同僚の議員からも不適切だと指摘され、この議員は辞職したのだ。どっちもどっちだ。
この投稿者は未成年だそうだ。どういう人なのかそれ以上には分からない。
もし、僕がこの議員の立場だったら、この投稿者に次のように言うだろう。
「ひきこもりの人やニートの人を戦争に行かせればいいということは、国が国民から任意に徴兵していいということになりますね。そうなるとあなたが兵士に選ばれる可能性だって生まれることになりますよね」
と、こう綴って、次にひきこもりやニートの人と、そうでない若者が戦場に駆り出される確率はどちらが高いかを示してあげればいい。
第2次世界大戦では、アメリカは多くの戦果を挙げたのだけれど、それはなぜか。理由の一つは心理テストで人間を区別したからである。心理テストを兵士に施して、適材適所に分配したわけだ。
方向感覚に問題のある兵士は、当然遠征から外される。言語理解能力に劣る兵士は、複雑な任務から外されるし、通信兵なんかにはなれない。リーダーシップに欠ける兵士や知能がそれほど高くない兵士は、決して司令部には入れず、突撃隊に入れられる。アメリカはこうしたことを心理テストを通してやったわけだ。
もちろん、これは心理テストの間違った利用法であることは注意しておく必要がある。
さて、それで何が言いたいのかと言うと、国が国民から徴兵するとする。それ以前の経歴はここでは無関係だということだ。アメリカ式に心理テストで人間を配属するとなれば、それまで会社員であろうが、ひきこもりであろうが、ニートであろうが、関係がないということなのだ。
だから、投稿の返答の続きとして、
「いったん戦争になって、国民から徴兵するようなことになるとしますよね。そうなると、徴兵された兵は国家によって配分されることになり、ひきこもりの人もニートの人も学生も会社員も、そこでは無関係なのですよ。かつての特攻隊だってそうだったでしょう」
と、まあ、こんなふうに続けるかな。そして、〆だ。
「もし、そうなった時に、君(投稿者)が戦場に行かないようにしたければ、リーダーシップを身につけ、人の上に立つような人間に今からなりなさい。そうすれば、君のような人材は司令部に配属されることになるだろうから、最前線に駆り出されることはないでしょう。でも、ひきこもりやニートこそ戦争に駆り出せばいいっていう考えの人は、最前線で突撃隊に編入される可能性がかなりあるように僕は思うよ」
これはまあ僕の考えだけれど、「ひきこもりやニートの人が戦争に行けばいい」っていう考えは、スケープゴートの心理なので、僕が防衛省なり軍部の人間だったら、そんな考えの人こそ戦場に欲しいと考える。戦争にうってつけの考え方をしているからだ。
(号泣議員と城崎温泉)
議員と言えば、上述の議員は自ら辞職しただけ潔い感じがする。
一方、世間を騒がした議員に例の号泣議員という人がいる。最初にあの号泣シーンを見た時、あの議員に演技性の傷害、ヒステリー性格者の顕示性、あるいは回避性の傾向を感じたのは僕だけだろうか。
なんでも、年間200回近く城崎温泉に行っていたそうだ。僕はそれを聞いて、城崎温泉ってそんなにいい所なのかな、それなら一度行ってみようかなどと真剣に考えたものだ。でも、実際は行ってなかったようだ。カラ出張していただけのようだ。なんだ、つまらん。
本当に城崎温泉に行っていたのなら、城崎温泉から感謝状の一枚も送られようというものだ。ただ名前だけ使用されて、悪名を轟かせるようなことになったのなら、城崎温泉もさぞかし不愉快だろう。
しかし、号泣議員、議員になって何をしたかったのだろうと思う。何のために議員になったのか分からんという議員は、彼だけじゃない。志がないのだ。あっても極端に低すぎるのだ。
僕は政治家の目を見る。顔写真なんかが掲載されていたら、とにかくその目を見る。
僕は個人的には、政治家はパラノイア的でなければならないと思う。何があってもこれだけは成し遂げるというような執着性、時には偏執性がなければやっていけない仕事だと思う。そして、パラノイア的な人は目が鋭いのだ。
川端康成の目がいい例だ。あと、フロイトにしろユングにしろ、あるいはヤスパースにしろ、同じように鋭い目をしている。
そんな目をしている今の政治家? うーん、思い浮かばんなあ。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
(付記)
議員さんにもいろんな人がいるものだ。その人たちはすべて選ばれて議員になったはずなのに、自分が選ばれたという感覚が持てないのだろうか。他人事ながら、そんなことも思ってしまう。
(平成29年1月)