6月28日:一つの変更は全体の変更

6月28日(土):一つの変更は全体の変更

(予約の変更)
 今日は昼から時間が空いていて、家の用事のためにいったん帰宅するつもりでいた。そこに明日のクライアントが今日にしてほしいと言ってきた。そのため、予定を大幅に変更せざるを得なくなった。
 午前中のクライアントを終えて、急いで帰宅し、さっさと済ませて、急いで戻ってきた。この後、変更のクライアントと会う予定だ。
 それと、今日は久々に断酒会に顔を出そうと思っていたが、この調子だと断念しないといけないな。
 なかなか理解してもらえないのかもしれないけれど、一人の変更は僕の一日の予定全体を動かさないといけなくなるのだ。できることなら変更なしで、予約通りにやっていきたいものだ。
 今日もそれなりに忙しい日を送らせてもらっている。人とも会っている。それなりにいい一日を僕の日々に積むことができた。もうひと頑張りだ、

(昨日のこと)
 昨日は休みで、ずっと外出していた。大阪の難波の方まで足を延ばして、買おうと思っていた本を買った。その後、日本橋の方をうろつき、初めて黒門市場も歩いてみた。さすがにこの辺りは人が多いなと思う。それだけ人が多いということは、カウンセリングの需要はまだまだあるなと思い、一安心だ。
 道頓堀の辺りで若い女性に声をかけられた。なにかいなと思ったら、なんてことはない、飲み屋のキャッチだ。飲んでもいいのだけれど、まずは僕の用事の方を先に済ませたいと思い、そう伝える。彼女は「買い物なら後でもええやん。店がなくなるわけじゃないし」と、なかなかしつこくつきまとう。僕は「じゃあ、また後で」を繰り返し、どうにかこうにか逃げる。ああいう子がDVの「被害者」になるんだろうなと内心そう思った。

(DV)
 DVに関する相談は多い。「加害者」側の人とお会いすることの方が多いけれど、一部、「被害者」側の人も来られるようになった。いいことだ。
 当事者にとっては初めての経験だからわからないことが多いのだ。何件ものケースを経験してみると、彼らには分からなくても、僕には見えていたり、予測がついていることなんかも出てくる。それを当事者であるクライアントに理解してもらえるように伝えるのが難しい。最近、そのもどかしさを頻繁に経験する。
 それが「被害者」であれ「加害者」であれ、DVに関する相談を受けると、時々、虚しい気分になる。彼らの話を伺っていると、結婚ということが人生上にまるで位置づけられていないようだ。あるいは、結婚になんら意味を見出すことなくここまで来ているかのような印象を受ける。そしてお互いに滅ぼし合うことしか彼らには残されていないかのようだ。
 すべてではないけれど、しばしば見受けられるのは、DVが問題なのではなくて、その結婚に問題があったのだというような例だ。選ぶべきでない相手を選んでいたり、まだまだ未熟さを残したまま結婚したり、恋愛ということがまったく身についていないまま結婚だけはしたといった感じだったり、お互いに道具的な目的のために相手と結婚していたり、などなどだ。

(配偶者控除)
 そう言えば、配偶者控除は廃止されるかもしれないという話をニュースで聞いた。
 主婦の年収が103万円以下であれば、38万円が控除される。そのため主婦は年収103万円を超えないように調節して仕事をしていることが多いのだ。
 この103万円の壁が女性の社会進出を妨げているという、見当違いの論を提示して、そのため配偶者控除を廃止しようと言っているわけだ。
 これは簡単な話なのだ。103万円を206万円に上げればいいだけのことだ。206万円までの年収なら38万円を控除しますよという話にすればいいのだ。もしくは、206万円まで控除しますが、控除額が30万円になりますよという形にしてもいい。いずれにせよ、そうすればパートの主婦も今の倍は仕事ができるのだ。
 配偶者控除そのものを廃止してしまうと、女性の社会進出ということ以上に、女性の未婚率が今よりも高くなるという問題が生じると思う。結婚してからの特典が一つなくなるわけだからだ。そうなると、出生率も下がり、少子化の問題がさらに促進してしまうだろう。
 アベ政権はみながみなこんな感じだ。問題の一側面に光を当てて、全体を悪くしてしまうという結果になる。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 また連想の赴くままに書いた分だ。本当はこういう書き方が僕には合っている感じがする。きちんと準備して、筋道立てて書くというのは得意ではない。思いもよらなかったものを書いたり、何を書いて来たのか最後になって分かるというのが好きだ。
(平成29年1月)

 

関連記事

PAGE TOP