5月19日:闘病記―10

5月19日(月)闘病記―10

 昨日の日曜日は用事で一日外出していた。当分、日曜日はこの用事のために潰れる。酒には手を出していない。昼は弁当を用意してくれていたので、ありがたくそれをいただくが、朝夕は控えめにする。断酒、食事制限もこれで10日続いたことになる。

 今日は、午前中だけ仕事が入っていて、午後から室内の整頓をしようと計画していたが、原稿を書いて過ごすことになった。このサイトの作業を少しでも前に進めたいと思うからだ。
 午後からは電話のオンパレードだった。予約の件での電話が3件。セールスのFAXが2件。私的な電話が1件。それに営業の電話が6件だ。最後のやつが腹立たしい。
 6件とも、いわゆるネット関係、IT関係の業者からのものだ。そういえばこの時期はこの手の電話が増える。この春に入社した人たちがいろんなところに営業の電話をかけるシーズンだ。大抵、一度、ウチに電話すると二度目はかけたくなくなるものだが、まだそれを知らない人たちだ。
 でも、6件は多かった。初めのうちこそ丁寧な対応を心がけていたけれど、最後なんてひどいものだった。おまけに最後のところが一番しつこかった。イライラする。電話がかる度に、こちらはそれまでしていた作業の手を止め、その電話のために時間を費やすのだ。幾度となく中断させられると本当に腹が立つ。以前みたいに電話をかけていい時間帯を設定して、それ以外の時間帯の電話は一切取らないというように戻そうかとも思った。

 IT企業を僕は信用していない。どの会社もネットの世界に参入しているだけであり、その点では個人がHPを開設するのと違いはないわけだ。ネットの世界を動かしている人たちではないわけだ。だから、彼らが「こうすればいい」と言うことは当てにならないのだ。自分たちがネット業界を動かしているわけではないのだから、その通りにならない確率も極めて高い。その通りにいかなくても、「ヤフーさんがやることなんで」とか言って、言い逃れもできるわけだ。こちらにはそんなこと関係がないのだ。その通りにいかなくても5年のリースは残ってしまうのだ。
 IT企業が儲けることができたのは、ひとえに、このリース契約のおかげだったと思う。法律の抜け道を巧みに利用して、リース物件を用意し、5年契約を結ぶ。それで儲かっていただけのことだ。
 先月、ようやく一つの5年リース契約が終わった。これは旧サイトにおいて、QRコードを作成した時のものだ。そのサイト自体が今はないし、QRコードなんて、携帯からふつうにネットに接続できる昨今においては、もはや利用価値のないものだ。それそのものが時代遅れになっても、その時契約したリース料金は支払い続けなければならないのだ。もちろん、そんなことIT業者はおかまいなしだ。
 おまけに大阪のIT企業は古いと僕は思っている。いまだに「SEO対策やりませんか」というような話を持ってくる。この点、東京のIT企業は驚くね。「IT企業やのにそこまでやってくれるの」っていうようなサービスを展開している。もし、契約を結ぶとしたら、大阪の会社は敬遠するって、僕は決めている。

 今、仮にHPに関して何か新しいことをしようとする。業者に頼むとまた5年契約だ。しかし、5年後にはもっと状況が違っている。それだけ進歩が速いのだ。5年もそれが持たないのだ。新しい何かが出てくることだってあり得るし、それが過去のものになって今では通用しないということも起きてくる。状況に合わせて変更してくれるならいいけれど、それはまた新しいことなので、それをするならまた5年契約だ。こうしてどんどん足枷をかけられていくことになるのだ。本当にバカらしいと思う。
 できるだけ借金をこしらえずに経営していこうと決めていたのに、リース契約のために挫折した。これは間に入るクレジット会社が立て替えてくれているわけだ。IT企業は、こうして、金銭の問題を顧客とクレジット会社に委ね、自分たちのリスクを減らす。もし顧客が倒産しても、IT企業は痛くも痒くもないという条件を作り出しているのだ。前回契約のリースがまだ終わっていないのに、平然と新しい商品を持ち込んで5年契約を取ろうとすることも平気なのだろう。本当に面の皮の厚い連中だと思うようになっている。
 熱意のあるIT企業を僕は胡散臭いと思っている。また、今日中に契約を取ろうとするところも信頼しない。キャンペーンをやっていて、最後の一枠になりました、期限は今日までですというような商品も信頼しない。それって、期限最終日まで売れ残っているということじゃないか。本当にいい商品なのかねと疑いたくなるね。

 技術の進歩は目覚ましい。5年前にはなかったものが今では普通にあるというものがたくさんある。
 3Dプリンターで銃を作ったという人がいる。人に危害を加える武器もそれで作ることができるというのには、正直驚いたけれど、必ずそういう人が出てくる。技術は進歩しても、人間が進歩していなければ、その技術の進歩には意味がないと僕は思う。

 今晩、久しぶりに断酒会に顔を出そうかと計画していたけれど、結局、原稿を書いているうちに気分がノッてしまって、そのまま書き続ける。夜、喫茶店で勉強する。23時頃までやっていた。その時間だともう歩くのは断念するしかない。そのまま帰宅する。
 すごい空腹だった。気分が悪くなるくらい空腹だった。簡単な食事を済ませ、2時頃まで本を読んで過ごした。
 今日、読んだ本は、シンガー「心理療法の鍵概念」、梶井基次郎の短編6つ(「泥濘」「路上」「橡(とち)の花」「過去」「雪後」「ある心の風景」)、それにマンハントから一話。
 梶井基次郎は「檸檬」一作を読みたいばかりに短編集を購入し、その一篇を読んだきり、他の作品には興味が湧かず、そのままになっていた。こうして読んでみると、いい作品も多いなと思う。
 明確なストーリーのない作品も多く、情景が連想でつながっていくような作品も見られる。今日、読んだ中では「ある心の風景」が一番良かった。ここにはシゾイド的な体験、世界観が感じられる。この中に出てくる夢はシゾイド問題を抱える人が見そうな夢であるし、主人公が女を「買う」時の体験もまたシゾイド的である。
 他の作品も、そういう観点に立つと、見事な病理体験の描写と思われる部分が多々ある。主人公、語り手は、どこか不活発であったり、生命感情が枯渇していきそうな中でなんとか創造性を保とうとしていたりするし、時には強迫観念めいたものが見られたりする。生を取り戻そうとする姿はなかなか感動的である。
 一方、マンハントの方は、これは僕が海外の翻訳推理雑誌を買い漁っていた頃に買った本だ。先日、整理していて見つけたのだ。昭和30年代にはこういう海外のミステリー雑誌の日本語翻訳版がいくつか出版されていて、「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン(EQMM)」や「アルフレッド・ヒッチコックス・ミステリマガジン(AHMM)」などがある。「マンハント」もその系列だ。「EQMM」は現在の早川書房から出ているミステリマガジンの母体である。一番、僕の趣味に合うのは「AHMM」だ。「マンハント」にはハードボイルド系やスリラー系のものが多いようだ。
 引っ張り出すと、昔買った本がいろいろ見つかる。懐かしむと同時にもう一度読んでみたい誘惑に抗えない自分がいる。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 電話が多い日だったのだな。なぜか一日に集中したりする。IT企業がいくらHPの提案をしてきたところで、僕にはこれしかできないのだから一緒なのだ。どこで作成しても、同じようなものが出来上がるだけなのだ。それに、何をやってもすぐに時代遅れになるのだ。新しい何かが出てきては、それが過去のものになっていくのだ。その速度の著しいこと。新しいものに飛びつかない方が賢いのだ。
(平成29年1月)

 

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