<#013-2> 浮気に関する諸断章(1)~健常者の浮気は発覚する
さて、浮気に関していくつかのテーマを取り上げていくことにします。
とかく、浮気をするのも何かとしんどいことのようであります。浮気をした当事者がそのように語ることも多いようで、とても「気が浮つく」ような経験ではないようであります。本項では、浮気者にとって何が苦しいことなのかを考えたいと思います。それに加えて、なぜ浮気者は浮気が発覚するようなボロを出してしまうのかということも考察したいと思います。
(浮気をするのもしんどい)
複数の相手を同時進行で愛するというのは、とかく精神的負荷の大きいことであります。浮気をしている間の方がしんどかったと訴える浮気者もあり、彼らの言葉はその負荷の大きさを思わせるのです。良い結末であれ、悪い結末であれ、とにかく終わってくれてホッとしたと言う人もありました。
浮気をする夫は、愛人の存在並びに愛人との関係を妻にはひた隠しにすることが多いのです。それが、精神的緊張が持続しなくなるのでしょうか、気が緩んで、うっかりボロを出してしまうのです。その些細なボロがきっかけで浮気が発覚したりするのです。
ボロというのは、例えば、愛人からのメールを、いつもだったら即座に消去するのに、その時は「たまたま」消去し忘れたとか、そういう些細なものであります。妻に「やっぱりお前が一番だ」とウッカリ言ってしまい、妻から「じゃあ、二番目は誰よ」と詰め寄られたなんて話も読んだことがあります。どうも隠蔽し続けるにしても、その緊張が持続しなくなるのでしょう。
それで、浮気をした人は浮気はしんどいものだったと述べることが多いのですが、一体、何がそこまでしんどくさせているのかを教えてくれる人はいませんでした。心的エネルギーが過剰に要求されるとか、精神的緊張を持続させなければならないとか、そういうしんどさがあるだろうということは私も想像できるのですが、では、なぜそこまでエネルギーが必要になるのか、緊張を持続させているものが何なのか、そういうことに関しては当事者は何も教えてくれないのであります。
しかし、視点を変えてみましょう。こうしたエネルギーや緊張を要せずに浮気をし続けた人の例を見てみると、何か参考になることがあるかもしれません。
(浮気してきたから離婚してくれ)
ある夫婦の話であります。仕事柄、夫は出張の多い人でした。おそらく、ビジネスマンとしては有能な男性で、頭も良かったのでしょう。
結婚して20数年を経て、夫が妻に打ち明けます。この十数年、愛人がいたこと、出張は常に愛人と一緒であったこと、愛人と同棲するために出張だと嘘をついたこともあること、そうしたことを彼は妻に初めて打ち明けたのでした。夫に対してそんな疑いを持ったことすらなかった妻はこの告白を聞いて驚愕します。
妻をさらに悲嘆させたのは、次に出された夫の要求であります。夫は愛人と一緒になるから妻に離婚してくれと迫るのです。離婚の原因を作った側からの離婚請求は不可なのでありますが、夫はそこもちゃんと考えていました。つまり、浮気は悪かったけれど、浮気に走らせることになった妻に問題がある、だから妻の方が悪い、そういう理屈を用意していたのでした。夫からすると、自分の方が被害者なのだから、妻に対して慰謝料は払わないし、子供の養育費も払わないと主張するのです。そして、わずかばかりの手切れ金で妻を納得させようとしたのでした。
夫の身勝手な要求に激怒した妻は、なんとかして夫にやり返したいと思ったのでした。何人かの弁護士に相談したところ、夫の言い分が通りそうであるとのことでした。離婚の原因は夫にあるけれど、夫が家に帰りづらい状況を作ったのは妻であり(実際、そういう部分がないわけではありませんでした)、妻の要求は完全には通らないだろうとのことでした。それで、この妻は、何をどう思ったか知らないれど、私を訪ねたのでした。
これは簡単に話がつく問題であります。妻は浮気と離婚問題しか見てませんでした。夫もそうであります。私はこれをDVの問題にすり替えたのでした。それでDV問題で夫を訴えることができるのではないかと示唆すると、彼女は喜んで帰りました。
浮気問題はDV問題に容易にすり替えることができます。これは別の個所で取り上げましょう。要するに、離婚の原因をさらに突っ込んだのであります。夫が浮気をした、浮気をしたのは帰宅させにくくさせてきた妻のせいである、ここまでは夫の主張であります。そこからさらに、妻が夫を帰宅させにくくしたのは、夫の暴力のためであるという話にしたわけであります。夫のDVの恐れのために、妻は夫から距離を取る必要に迫られていて、それで夫が家に帰りにくい状況を作ったのだとしたのです。幸い(と言っていいかどうか)なことに、この夫には気性の激しいところがあって、暴言の類には事欠かない人でした。
(自己の分裂)
さて、この夫は浮気に「成功」してきた人でした。十数年に渡って浮気を隠し通してきたのでした。おそらく、この夫は浮気をしんどいこととは経験しなかったことでしょう。
まず、この男性は一年の半分を妻と、残りの半分を愛人と暮らしてきました。その二重生活を完全にやってのけたわけであります。これはどういうことかと言いますと、夫である自分と愛人である自分と、彼は自分自身を分断させなければならないということであります。そして、この両者は混交してはならず、完全に分裂していなければならないわけです。
こうした二重生活、二重の自己を持ち続けることができるのは、かなり病的な素質を持っている人だけであると私は考えています。精神的に健常な人ほど、こうした自己の分裂には耐えられなくなると私は思います。おそらく、当事者たちがしんどかったと述懐する時、そのしんどさの中には自己を分裂させる経験が含まれているだろうと私は推測しています。妻と一緒にいる時の自分と愛人と一緒にいる時の自分と、極端に言えば、同じ人間でありながら別人にならなければならないわけであります。これを完璧にこなせる人はかなり病的であると私は思うわけであります。
健常な人はそこまで自己を分裂させることができないので、妻との生活場面に愛人との何かをうっかり持ち込んでしまうのだと私は思うのです。それでボロを出してしまうわけであります。そして、浮気問題が発覚してホッとするというのは、もう自分がそのような二重生活を送らなくて済むこと、さらには自分自身を分裂させなくて済むことが分かるからではないかと、私はそのように思います。
従って、精神的に健常な人の浮気(浮気をすること自体が精神的に健常であるのかどうかという疑問は一旦脇へ置いておいて)は必ず失敗するものであります。遅かれ早かれ、浮気が発覚してしまうのです。どこかでボロを出してしまうのです。自己を極端にまで分裂させることができないので、ボロが出てしまうのです。なので、浮気に成功する人ほど病的なのであります。夫と愛人の二重生活、二重人格的な在り方を完全にできるわけなので、かなり病的であるわけです。私はそのような考えをしています。
ある妻は言います。ずっと浮気を隠してきて、それでこんなしょうもないボロを出して、夫はアホちゃうか、と。妻から見るとアホな夫が見えるのでしょう。私から見ると、まだしも健常な夫が見えているのです。少なくとも、完全に自己を分裂させることのできない夫が見えているのです。
(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)