<#013-3>浮気に関する諸断章(2)~一夫多妻制では浮気は生じない?
(ある男性の呟き)
「日本が一夫多妻制だったら、こんな苦しみは経験せずに済んだだろうに」
浮気がバレて奥さんからこっぴどく絞られた男性がそう呟いたのでした。
その時、私は深く考えもせずに、「本当だね」というようなことを言ったのでした。でも、彼の言葉は私の中に違和感を残していました。
彼の言うことは次のようなものであります。日本が一夫多妻制だったら、愛人も妻にしてしまって、それで事が済んだのにということであります。これが浮気問題になることもなく、妻からも絞られることなく、二人目の妻を娶ったということで丸く収まっただろうというわけであります。見ようよっては自分勝手な考え方であるかもしれません。
男性の中には彼のような考え方を有している人もあるかもしれません。つまり、一夫多妻制ではそもそも浮気問題は生じないと、そのような考えであります。
私はそれに対しては否定的な見解を有しています。つまり、一夫多妻制でも浮気は生じると考えています。一夫多妻制であれば浮気は生まれないという考えは、妻と愛人とが同格でなければならないという前提が必要であるように思います。どうもこの前提が成り立たないように私は思うので、否定的な見解を持っている次第であります。
(複数の相手を同時に愛せない)
バートランド・ラッセル(だったと思う)が言うところでは、一夫多妻制は一夫一妻制に収まっていくとのことであります。私にはそれは頷けることであります。
つまり、たくさんの妻を持っても、最終的に深い関係を築く妻は一人になるということなのです。愛の対象は一人に収斂されていくわけであります。
私はこの見解に賛同するのですが、その理由は簡単なものでありまして、同時に複数の人を愛することは心的負荷が大きいからであります。一時的にはそれができたとしても、長くは続けられず、長期に渡って複数の相手を同時に愛するなんてことはできないものだと私は思うのです。
いわゆる「二股」とか「三股」かけて交際したという人があれば、あるいは身近にそういう人がいたという人は、少し思い返してみていただきたく思います。一人の相手を愛するよりも、2倍3倍のエネルギーが要ったことだと思います。
(浮気にもエネルギーが要る)
そのように考えると、浮気をするというのもけっこうなエネルギーが必要なのでしょう。当事者はそういう類のことを言う場合もあります。
ある男性は、浮気がバレて、妻との間に勃発した騒動が一段落着いてから、浮気がバレてくれたのは良かったかもしれないと述懐しました。妻に隠れて愛人と交際することは、その時はそれにはまり込んでいて気が付かなかったようなのですが、そこから抜け出て初めて相当しんどいことをやっていたのだなと気が付いたようでした。
そんなふうに、浮気が発覚して、結果的に良かったと安堵する人もおられるわけでありまして、私もそれはそうだろうと思うのです。浮気をするということ、複数の異性を同時に愛するようなことはエネルギーが必要なのです。それが彼を苦しめることの一つであると思います。
(妻と愛人は同格か)
さて、先送りした疑問に戻りましょう。妻と愛人とが同格であれば、一夫多妻制の社会では浮気は生じないでしょう。しかし、両者は同格ではないという話をしましょう。
まず、次の男性の例を見てみましょう。
この男性は妻がいるにも関わらず、他の女性とも関係を結んでいたのでした。要は浮気をずっとしてきたのでした。妻は夫の浮気を知り、夫に責任を求めます。この夫は次の提案をしたのでした。妻とはこのまま夫婦の関係を維持し、愛人を養子に迎えて、それで夫、妻、愛人の三人で暮らそうと。これを聞いた妻は、呆れかえり、開いた口が塞がらない状態だったそうであります。
この男性の中では、妻と愛人とは同格なのです。私はそう思うのです。同格の存在だから、一緒に暮らして差支えが無いわけであります。そして、同格であるから両者は取り換えが可能なのであります。法的には妻は一人しか持てないから、愛人を養子にして、それで妻と愛人と仲良くしてくれと彼は言っているわけであります。妻の独自性もなければ、妻と愛人の差異も、彼の中では存在しないのであります。
もしかすると彼のような男性は稀有であるかもしれません。妻と愛人とが同格であるとなると、この男性のような考えになるのだと思います。彼のその考えを聞いた時に妻が呆れたということは、妻は自分とその愛人女性とが同格ではないことを認識できているのだと思います。
大抵の男性はそのようには考えないだろうと私は思います。妻と愛人が同格ではないから、愛人との交際を妻に隠そうとするのだろうし、その交際の仕方にも違いがあるだろうと思います。
時に、妻と愛人とは別だということをはっきりと表明する夫もあります。浮気をされた妻からすると、これは理解不能の見解であることも少なくないようであります。しかしながら、妻と愛人とは同格ではないからこそ、夫はそういう表明ができるのだと私は思います。
中には次のような経験をする人もあります。相手が愛人の間は燃えるような恋愛をしていたのに、妻と離婚して、その愛人と夫婦になった途端に愛情が冷めてしまうといった経験であります。これもまた、妻という存在、あるいは妻という地位にある人と、愛人という存在、地位にある人とが同格にはなり得ないことを示しているように私は思うのであります。
当然、これには反論があるという人もあろうかと思います。妻と離婚して、愛人と再婚して、それで幸せになったという人もあるではないかと、そういう人たちはどうなんだという反論が出てくるかと思います。それでも、愛人関係の時の相手と夫婦関係になってからの相手と、相手は同一人物であれ、そこで経験されていることは同じではないだろうと私は思います。
(結論として)
大多数の浮気者にとって配偶者と愛人とは別格の存在であるように思います。配偶者と愛人にはそれぞれの地位があり、役割があり、別個の個人として浮気者には体験されているものであると私は思います。
配偶者と愛人が同格であるという場合、私の見立てるところでは、その人はかなり幼稚であり病的であるように思います。これに関してはケースを通して考えていきたいと思います。
従って、一夫多妻制にしても浮気問題は生じるものと私は考えています。もっとも、その場合、「浮気」とは違った別の呼称で呼ばれるかもしれません。
(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)