<#004-1>私のカウンセリング観(1)~定義 

 

 本章(#004)はカウンセリングについて述べるのでありますが、いささかの困難を私は経験しております。述べることは膨大にあるのですが、どうまとまりをつけていいのか分からず、また、どこから始めてよいのかも見えていない状態であります。 

 とりあえず、私の考えるところの簡単な定義を挙げておこうと思います。 

 

 ①カウンセリングとは、なによりも二人の人間の話し合いの場であります。 

 カウンセリングとは二人の人間が話し合う場面であります。重要なことなので二点だけ取り上げておこうと思います。 

 まず、そこには二人の人間がいるということであります。一方はクライアントと称し、他方はカウンセラーと称するのですが、これはその場面における役割の名称であり、どちらも同じ人間であるのです。 

 カウンセラーは神でもなければ、神がかりであってもいけないのであり、カリスマ性を帯びてもいけなくて、あくまでも一人の人間のままでいなければならないのであります。人間であるがゆえに、カウンセラー側も苦悩する存在なのであり、病んだり欠点を持っていたりする存在なのであります。カウンセラーは決して完全でもなければ、万能な存在でもないのであります。 

 カウンセラー一人の人間でなければならず、クライアント同じであります。クライアントもまたここでは一人の個人として存在しているのであります。 

 もう一点は、そこが「話し合い」の場であるということであります。クライアントが話し、カウンセラーもまたその話に参加していき、対話が生まれる場であるということであります。 

 

 ②そこはクライアントの問題解決の場であり、クライアントの語り直しの場である。 

 クライアントは困りごとを持参してカウンセリングに訪れるものであります。この困りごとがクライアントとカウンセラーを結びつけているのでありますが、クライアントはその困りごとの解消を望んでいるのであり、カウンセラーもその援助をすることになります。従って、その話し合いは問題解決という様相を帯びることになります。 

 しかし、その話し合いは同時にクライアント自身の語り直しの場にもなるのであります。その困りごとにはクライアント自身が抱えているものであるが故に、困りごとを話すことはクライアント自身を語ることにつながるのであります。そうでなくても、人は自分自身の語り直しを人生の節目でしていくものであり、カウンセリングはその場を提供するという意味合いを帯びることになります。 

 

 ③カウンセリングは多面的活動である。 

 多面的活動というのは、さまざまな意味や目的、局面や場面があるということであります。先ほど問題解決を話し合う場であると言いましたが、それに加えて、治療の場でもあり、内省の場でもあり、成長の場ともなるのであります。さまざまな種類の活動性が含まれているのであります。 

 その時々における関係性も多岐にわたるのであります。カウンセラーとクライアントは、子弟のような関係になることもあれば、親子のような関係、兄弟のような関係、親しい友人のような関係になることもあるのです。カウンセラーとクライアントは、横並びの関係の時もあれば、前後の関係の時もあり、上下の関係の時もあるのです。その時々の局面において関係性も多様に移行するのであります。 

 活動性も関係性も、固定したものではなく、流動的であり、自由があると私は考えています。 

 

 ④カウンセリングには許容と禁止が存する契約関係である 

 流動的であり、自由があるといっても、そこには許容されることと禁止されることがあります。これは「枠組み」に関する内容とつながっていくのでありますが、クライアントがカウンセリングの依頼をするものであり、そこには一つの契約関係が生まれているのであります。契約であるがゆえに、許容される行動と禁止される行動とがこの関係には含まれることになるのであります。 

 この許容と禁止は、クライアント側だけでなく、カウンセラー側にも課せられるものであります。ただし、課せられる内容に関しては、双方で共通するものもあれば、異なるものもあります。 

 

 ⑤カウンセリングは出会いがあり、別れを伴う関係である。 

 カウンセリングには必ず「終わり」があるのです。それは毎回の面接の「終わり」をはじめ、長く通ってくれたクライアントとの「終わり」がどこかで来るのであります。いつか別れることを前提にしてカウンセラーはクライアントと出会うのであります。 

 実は、これを認めることは私には辛いのであります。最初にお会いした時、大抵のクライアントがそうなのでありますが、まずその人は落ち込んでいたりするものであります。おそらく、一般の人はそういう状態の人とはあまり付き合いたくないと思うのではないでしょうか。私もそうなのであります。でも、そのクライアントがだんだん良くなっていくと、その人に魅力のようなものを私は感じるのであります。その人のことを「いいなあ」などと思うようになっていくのであります。 

 通常の人間関係ならそこから友達付き合いとかが始まるものだと思うのですが、カウンセリングではそこでお別れしなければならないのであります。なかなか辛い時もあるのです。それでも、別れる時が来たらきっちり別れなければならないと私は思うのであります。そうでなければその人が独り立ちできなくなってしまうからであります。実に因果なことであると思う次第であります。  

 

 大雑把な定義でありますが、私はカウンセリングとは上記のようなものであると考えています。 

 次項において、もう少し私のカウンセリング観を、少し別の観点から、述べてみたいと思います。 

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

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