<#007-18>臨床日誌~食行動
ある母親が20代の息子のある行動を話した。この息子さんは母親の作ったものを食べないと言う。彼は自分で料理するか、何か買ってきて食するようである。この状態がずっと続いているという。
これを子供の反抗と見るのは良くない。そもそも「反抗期」というものは大人の概念である。子供は自分が「反抗」しているという意識は持っていないものである。発達心理学の用語にはそういうものがいくつかあるので要注意だ。子供の現象に大人目線の言葉が付されていたりするわけである。
だから誤解している人もある。自分には反抗期がなかったと言う人もある。反抗期がないとは、どういうことをこの人はしなかったのでしょうか。彼曰く、親に反対したことがないということである。それが彼の言う「反抗」の意味らしい。親に反抗するから反抗期なのではないのだ。彼には反抗ではなかったとしても、親には反抗と見えるものがあったかもしれない。それに、目に見える反抗をしないで反抗期を生きたという人もおられるのである。要するに、反抗行為の有無ではなく、自己の確立が目指されているか否かに注目しなければならないのだ。
母親の料理を拒む息子さんに話を戻そう。この息子さんの行為を反抗とみなすことは正しくないと僕は思う。加えて、親の育て方が悪かったとか、愛情が足りなかったなどと考えることも正しくない。それは話が飛躍しすぎである。いきなりそんな話を持ち出してはいけないのである。
これは僕は確信していることなんだけれど、子供が親との関係を(いい意味でも悪い意味でも)改めようとするとき、子供は食事からそれを始めることが多いのだ。
若い人が親元から離れて一人暮らしを始める時、まず食事のことからやるのである。あるいは一人暮らしの準備をするという場合でも、自分の食事は自分で作るということから始めることが多いのだ。
それで一人暮らしでも始めると、三食はきちんとするのである。その代わり、生ごみの処理を怠ってハエをたからせたとか、色ものも一緒に洗濯して衣類を全部染めてしまったとか、それ以外の失敗をやらかしてしまったりするのである。掃除や洗濯のことが後回しになっているのだと思う。
また、息子さんが母親の料理を拒むのは母親の愛情を拒否しているのだという見解もあるだろう。精神分析的な思考ではそういうことになる。これも、いきなりここに話を飛ばしてしまってはいけないのである。
仮に、母親の愛情を拒否しているのだとしても、それをすることによって息子さんが何を目指しているのかを理解しなければならないのではないだろうか。僕はそう思う。
細かい話は省略するのだけれど、僕はこの息子さんが母親と適切な距離を取りたいのではないかと思っている。母親であれ、家族を完全に拒んでいるのではないようなので、この息子さんは母の料理を拒否することで、母親の影響の届かないところに身を置きたいという気持ちが強いのではないかと思うわけだ。完全に母親を拒否しているわけではなく、母親のある種の影響から距離を置きたいという願いがあるのではないかとも思う。
この息子さんは、母親を拒絶するのではなく、彼にとって適性な距離を取りたいのではないかということである。その試みの一つとして食事の問題が生まれているのではないかということである。いい意味では自立ということであり、自己確立とか個性化の過程と見ることもできる。ただし、あまりいい方法ではないかもしれないし、彼の願っているようなことが達成できていないという印象も受ける。
さて、ひきこもりの傾向のある子供の場合、親の作ったものを食べなくなるというのはよく聞く話である。でも、これは拒食というわけではない。食べることは食べるのである。ただ、子供は自炊するなり自分でやろうとする。女子の場合では、ダイエットという名目がそこに与えられたりする。
こういう行動は、僕はひとまず親との関係を何か変えたい気持ちの表れと見るようにしている。いきなり問題視しないようにしている。というのは、母親は子供のこうした行動をひどく気にするからである。確かに、母親にとってはあまり気分のいい話ではないだろうし、子供がどこか悪くなったというふうに解釈してしまうこともあるだろうと思う。母親が自分の子供を「問題のある子供」という見方をしないように注意しなければならない。
それよりも、注目するべきなのは、子供の食行動そのものではなく、それが強迫性を帯びているかどうかである。親の作ったものは一切食べない、親が使っている調味料すら使わない、摂取カロリーを完全にコントロールする、こういう食材は決して使わない、自分の食生活を家族にも強いる、等々の要素がどれくらいあるかに僕は注目する。
こういう強迫性が強いほど、その子は自分を完全にコントロールしなければならないと感じているのであり、その子がそのように感じるということは、その子の中で悪くなっていっているものが感じられているということになるからである。つまり、自分は自分をコントロールできないという体験をしているのであり、これ以上悪くならないためにも完全に自分をコントロールしなければならないという気持ちに襲われてしまうのだと思う。
子供の食行動が、自立の試みであるか、病理の表われであるか、それはその子のその他の言動なんかも踏まえてトータルに考えなければならないことである。その一点だけ見て結論を導き出すわけにもいかないのである。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)