<#007-11>臨床日誌~親離れと労働 

 

 ある人の親離れの程度とその人の仕事の仕方とか仕事上の困難について思うところを述べようと思う。 

 その前に、子供の親離れと、親の子離れとはセットで見ないといけないのである。双方の視点を必要とするものである。「ウチの子は親離れしないので困っているよ」という親は、本当は親の方でも子離れできていないかもしれないのである。本来なら両方の視点で見なければならないところだけれど、ここでは一方の視点に立っていることを最初にお断りしておくことにします。 

 子供の親離れという場合、これは物理的に距離が離れているという意味ではなく、子供の側の心の中の事柄である。心理的な親離れということである。親離れをするとは、親が一人の他人であることを受け入れることであると、少し簡略化しすぎているのだけど、一応、そのように定義しておこう。 

 さて、精神的な親離れということだけれど、これを完全に成し遂げている人はほとんどいない。僕はそう確信している。どの人も親離れできていない部分があるもので、親離れを達成しているか否かというよりは、程度の問題であると言えそうに思う。 

 さまざまなパターンがあるけれど、比較的よく見られると僕が感じているのは、親との関係が会社とか団体との関係に持ち込まれるというものだ。親離れのテーマは、その人の所属する企業とか団体との関係に置き換えられていくことになると思う。 

 ある人は安定や安心を求めて公務員になる。これは親の庇護下にありたいという子供時代の感情の名残であるかもしれない。会社では有能で高い地位を占めてきた人が定年退職した途端に奥さんを母親代わりにして退行しきってしまうなんて例もある。これはつまり、定年退職後は、あたかも幼児のようにすべてを親(ここでは奥さん)に頼り切るということであり、仕事では有能であったのがウソみたいに無力な人間になるわけだ。それまでは会社が親代わりだったのに、退職後は奥さんが親代わりになっているとうことだ。 

 一部の人たちは宗教に転移させる。すべての信仰が親との関係に還元されるとは僕は言わない。だけど、神仏にすがる気持ちは、幼児期や児童期の親にすがる気持ちの延長であるかもしれない。そういう信者さんもおられると僕は思っている。 

 企業であれ、宗教団体であれ、あるいはNPO団体であれボランティア団体であれ、集団に属することは安心感をもたらすことだろうと思う。それ自体は何も間違っていることでもなければ悪いことでもない。しかし、こんな例もある。アルバイトではよく仕事をしていた人が、その職場で正社員になった途端に無力な人間になってしまうという例だ。本人は責任の重さとか仕事量の違いなどのためだと説明することもある。しかし、これももしかしたら、正社員になることで団体に所属する安心感が得られて退行したのかもしれない。幼児期の安心感を再体験するようになっているのかもしれない。 

 親離れは程度の差でしかないと言ったけれど、親離れできていないほど上記のようなことがおきるのではないかという気もしている。つまり、団体とか集団を親代わりにして、子供の立場で生きるようになるのではないかと思う。 

 繰り返すけれど、あくまでもそれは程度の差しかない。集団に所属して安心感を得るからと言って、それだけで親離れできていないなどとも言えないのである。それが問題になるのではなく、親離れできている程度が低いほど、親との関係において未処理な何かが持ち込まれる率が高くなるということである。 

 その前提を踏まえると、二つの道筋が生まれる。一つは現実との親との関係をきっちり清算してから集団との関係を修正するという道筋である。もう一つは、現在の集団との関係を上手くやっていくことによって、過去の親との関係で未処理だったものを処理していくという道筋である。僕は迷うことなく後者を選ぶ。 

 AC信奉者の一部の人たちは前者の道筋を取る。会社や集団から離れてまでして親との関係の何かを変えようとする。僕の見てきた限りでは、この道筋は上手く行かないのである。親との間で経験したことを掘り起こせば掘り起こすほど現在の生活に困難が増えてしまうということがあるからである。つまり、現在のことですでに上手く行っていない何かがあるのに、そこに過去の上手く行っていないことが上乗せされてしまうので、この人にとってはますます手に負えない事柄が増えてしまうというわけだ。 

 僕個人は、親離れといった問題でも、現実との親との間で実現できなくても、象徴的に実現されるだけで十分であると考えている。企業とか団体との関係の在り方が変わっていくことで親離れが実現されていくこともあるのではないかと僕は信じている。いや、むしろそれが普通のことではないかと思う。そうでないなら、例えば、親離れする以前に親が死んでしまったという子供は永遠に親離れできないということになってしまうからである。決してそんなことはないと僕は断言する。 

 さて、何を書いているのやら自分でもまとまらなくなった。このテーマは後日に持ち越そう。もう少し具体的なケースで見てみようとも思う。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

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