2月24日:自動車衝突事件

2月24日(月):自動車衝突事件

 昨日に引き続き、今日もニュースから。名古屋で繁華街の歩道に自動車が突進して十数人の人が怪我をしたというニュースを聞いた。犯人は、その少し前にレンタカーで車を借り、殺すつもりで突っ込んだと証言しているそうだ。確か、30歳代の男性で、無職だと報道されていたように思う。
 死者が出なかったのは不幸中の幸いであるが、本当に殺してしまうか負傷させるところで終わるかは、恐らく犯人の超自我、良心の影響があるのではないかと僕は考えている。いずれにしても、それが犯罪であるという点では違いはないのだけど。
 この事件の結末は、彼の運転する車が街路樹か何かに衝突することで終わる。つまり、自らが負傷することで終わりを告げるわけだ。従って、自殺とか自傷行為の色合いを僕は強く感じてしまう。
 また、この手段も興味深い。彼は無職だそうだが、レンタカーの料金はどうしたのだろう。僕はその辺りの値段は詳しくないのだが、レンタカーで一日車を借りるのとサバイバルナイフを購入するのと、どれほどの差があるだろうか。僕の勝手な憶測では、彼はどちらの手段も経済的には可能だったと思う。でも、なぜ彼は、路上でサバイバルナイフを振り回すというような事件ではなく、自動車で突っ込むという手段を選んだのだろう。
 僕はこう思う。彼には防御壁が必要だったのだと。ナイフを振り回すというようなやり方は、それだけ自分は無防備であるわけだ。だから武器よりも防御の方を彼はより必要とする人だったのかもしれないと思う。
 いずれにしても、事件は事件であり、罪は罪だ。彼は刑に服することになるだろう。精神鑑定なんかも施されるだろう。
 精神鑑定と言えば、それは刑を軽減するものだと考えている人も多いように思うが、決してそうではなく、刑を確定するためにするものだ。実際に刑を決めるのは裁判官であって精神鑑定医ではないのだ。ドイツでは各裁判所に複数の精神鑑定医が所属していて、どの事件であっても精神鑑定が実施されるのだそうだ。僕はそれが普通だと思う。日本では事件の種類によって精神鑑定が必要かどうかが決定されるようだが、それでは裁判の公平性が損なわれるように僕は思う。
 それはさておき、今のところ犯罪事件を起こすことなく、それなりに善良な市民の顔をして暮らしている我々も、衝動をうまくコントロールできているおかげで彼のようなことはしないのだが、一つ精神の水準が低下すれば、彼と同じものを持っているということに気づくだろう。自分にも同じものがあるということを我々は知るべきだと僕は思う。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 人を殺そうと決める。繁華街で車を暴走させる。これは非常に合理的なやり方なのである。人間が合理的になればなるほど、それらの行為を機械的に行うことができるようになると、僕は考える。つまり、合理的にやっていくとは、感情抜きで行うということである。この犯人はそれをしたのだと思う。
(平成28年12月)

 

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