1月1日:新年に寄せて

1月1日(水):新年に寄せて

 めでたく新年を迎えることができた。
 今年はもう一度ブログに力を入れようと思う。最近、文章が書けなくなっているという感じがして仕方がなかった。文章の練習のつもりで書いていこうと思う。
 昨夜はアルバイトに行っていた。バイト先で新年を迎えたのだが、その後、バイトの若い人たちが来て、そこから宴会が始まった。いい思い出になった。
 初詣に行く人も多いだろう。僕はあまり拘らないし、一時期は初詣に行かないというのが僕の習慣になっていたけれど、最近は少しそういうこともするようになった。ただし、何も祈願しない。無心に拝むだけだ。
 皆さんは「良い年になりますように」と祈願なさればいい。僕は物事には良いも悪いもないという信念を抱いているので、あまりそのようには祈願しない。ただ、もう一年、何とか生きることだけを僕は望む。病気で倒れるかもしれないし、事故や災害で命を落とすかもしれない。そういうものはいきなり降りかかるものだ。だからこそと言うか、一年間、生き抜くということはとても意義があると思う。それだけを望む。幸福なことも不幸なことも、自分に降りかかるものは、どんなものであれ、そのまま受けいれようと僕は思う。

 今年の「初読み」はフロイトの「集団心理学と自我の分析」となった。これを書いている時点ではまだ途中だけれど、今日中には読み終えることができそうだ。
 集団とは不思議なものだと思う。個人だとそういうことはしないのに、集団になると人は平気で普段のその人ならしないようなことをしてしまう。と言うか、そういうことができてしまう。いろいろな説があるけれど、精神分析では、フロイトはどういうことを言っているのかをもう一度再確認したくて読み始めたものだ。
 あと、アンドレ・ジッドを読みたいという衝動が昨年(実は昨日のことだが)から強まって、『田園交響学』を読み始めている。短い作品だけれど、まだ読み始めたばかりで、現在「第1の手紙」の途中である。

 あまり正月らしいことはしない。テレビは特番ばかりで、冗長だし、騒がしすぎて、気分に合わない。静かに本を読み、ブログを書く。そんな年初めだった。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 コンビニのバイトの後でみんなで飲みに行った時か。そして、この日がコンビニ最後になったのではなかったかな。何の連絡もなく、シフトから外されていたのだ。あの店はそういうことが平気でできるのだ。だから、もうダメになっていたのだ。
(平成28年12月)

 

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