6月19日(日):術後3日目
怪我をして、ちょうど一週間目だ。ということは、禁煙、断酒も一週間目を迎えるということだ。
今日、いろいろ自己チェックしてみた。まず、指先のニコチン焼けがきれいになくなっていた。ただ、爪の方に少しだけその痕跡が認められる。これは、爪が伸びていけば、ニコチンに染まった部分が先端へと送られ、きれいな爪になっていくだろう。現に、人差し指の爪、下三分の一の領域は、すでにきれいな爪が見え始めている。
歯は白さが戻ってきた。黄色い感じがなくなった。ここは素直に驚いた。僕の歯が白いなんて、長年見たことがなかったことで、信じられないことだった。
喉の方はよく分からない。咳き込むことはなくなった。でも、特別、何か変わったという感じはないし、声の調子も特に良くなったというようには感じられない。
呼吸はかなり楽である。これは深呼吸した時にもっともよくわかる。
怪我の方だが、痛みはそれほど感じない。時折、ビリッと来るくらいだ。連続的な痛みはない。ただ、腫れの方が気になる。この腫れが、骨折や手術の時に生じる通常範囲の腫れなのか、それとも別の何かから来る腫れなのかがはっきりしない。それだけに心配だ。
個人的には、この腫れを治めることが優先じゃないかと思う。この腫れのせいで動きも制限されているし、動くと患部を圧迫するのだから、リハビリよりも先に手を付けないといけないんじゃないかと思う。
相変わらず、看護師さんたちは僕に何をさせたいのかはっきりしない。訊いてもいいのだが、あまり伝わらない感じがした。とにかく、一日ベッドの上で過ごすのは良くないということなんだろう。しかし、腫れを冷やすためにはベッドで安静にしていないといけないのだから、ここに矛盾が生じる。動いたり、安静して冷やしたりを小刻みに繰り返さないといけないということなんだろうか。
よく分からないや。とにかく、明確な指示なんて出ていないのだから、自分で予定を組ませてもらう。午前中は安静にして、患部を冷やすことに専念する。午後から、つまり昼食後から夕方まで、車椅子で活動して、身の回りのことをする。夕方から再度、安静にして患部を冷やす。そのまま明日までじっとしていてもいいのだけど、もう一度、夕食後に動いて、その後は安静にしていよう。
午後、母が来る。暑い中、たいへんだろうに。見舞いに来てもらっても、できるだけ椅子に座って休んでいてもらう。用事がある時だけ、少しお願いしたりするけど、それ以外に母を使ったりはしない。
母の母、つまり僕の祖母のことを聴いた。僕は祖母の記憶がない。僕が1歳半の時に亡くなったそうだ。兄は、厳しい祖母だったと言っていたように思うけど、祖母は僕のことはとても気にしていたようだ。
1歳になっても僕は歩かなかったそうだ。僕が歩き始めたのは祖母が亡くなる頃だった。なかなか歩き出さなかったなんて、いかにも僕らしい感じがする。
祖母が亡くなって、子供を見る人がいなくなった。看護師だった母は休職しようかと考える。その時、院長先生が手を尽くして、僕は保育園に預けられることになった。母はブランクなしで、仕事を継続することができたのだ。
そうか、その頃から僕は保育園通いをするようになっていたのか。それと、幼稚園や保育園の園長先生には個人的な枠があるそうだ。現在ではどうか分からないけど、園長先生のコネで入れる枠があるということだ。
これからの経営者、人を雇う人間は、そういうコネのいくつかは持っていなければならないと僕は思う。経営者側にそういうコネがなくて、そのくせ従業員が育児休暇を取るとぶつくさ言うようでは、経営者としてもダメだし、雇用者としてもダメなんだと、そう思うようになった。
午前、午後、夕と、3回車椅子上で過ごす。やっぱり体力が落ちるのだろうか、ベッドの上では平気に過ごせても、車椅子の上ではしんどいと思う。2,3時間が限度だった。
夜、いろんな人のことが思い出される。昔、仲の良かった人や好きだった人のことが思い出されて仕方がなかった。今の僕の状態とこの状況がそうさせるのだろう。思い出に耽ってもいいが、それよりも僕はこの状態とこの状況から出たいと願う。
意味もなく、退院したら行きたいと思うところをリストに挙げた。もちろんのことだが、退院したとて、すぐに行けるものではないけど、とにかく、今思いつく限りで行ってみたいところをリストにする。
リストの中で、ちょっと現実的に難しいものは省く。現実的に十分可能だというものに関しては、さらに詳細なルートを考える。こういうルートを取って、ここで休憩ポイントを挟んでといった具合に、事細かに計画する。
仕事の方でも、復帰したらどう動くとか、いろいろシミュレートしてみたりする。なんだか、こういうことをしている方が楽しい。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)