6月17日:手術譚(2)

6月17日(金)手術譚(2)

 6月16日の手術の話を続ける。
 ベッドのまま手術室に運ばれる。テレビや映画では目にしたことのある場面だけど、いざ、自分がその立場を現実に経験してみると、案外、なんでもないことのように思われた。もっと様々な感情体験をするものだと思っていた。不安も恐怖もない、これまでの経緯のこともない。ただ、手術室に運ばれていくだけ。そこに向かうまでの天井を僕は無心に見ているだけだった。
 そうして手術室に入る。病院勤務の人たちにしたら見慣れた光景なんだろうけど、それ以外の人であれば、なかなか手術室に入ることはないだろうから、何かと新奇な光景を目にしてしまう。ドラマなんかでよく見る「手術中」の赤い看板が見える。僕の手術の間、あれが灯っているんだなと、何気なく思った。
 前日、説明と挨拶に上がってくれた麻酔科の人がいた。やはり挨拶してくれた。何となく心強い気持がした。
 実際の手術はもう一つ奥の部屋でやるようだった。ここはその準備室のような場所だった。主治医の先生の姿も見えた。みんな忙しそうに動き回っている。一体、どれだけの人が僕の手術に関わることになるんだろう。

 手術台に乗せられ、いざ、手術室へ。
 手術室が、僕が思い描いていたようなものではなく、もっと広くて、開放的な空間だったのには驚きだった。そこにたくさんの機械が並べられている。
 最初は麻酔だ。いよいよ来たか。腰椎麻酔だ。横向けになり、背中を丸める。先生が指で押さえていく。ここに針を刺しますよと、腰に近い一点を指す。ああ、来るぞ来るぞと僕は思う。
 チクリと針が刺さる。ここはどうってことはない。その針が奥へ奥へと侵入してくる。思わず「イタタッ」と声が漏れる。実に不快な気分だが、不快なのはここまでだった。
 麻酔がかけられる。足先から痺れるような感覚が生まれる。足が暖かくなり、重たくなり、痺れた感じになる。なんだ、自律訓練法と大差ない経験じゃないかと、そんなふうに思った。

 麻酔が終わり、しばらくすると、アイスノンをあちこちに当てられる。麻酔が効いているところでは冷感が感じられないはずであるから、どこまで麻酔が効いているかをこうして調べるわけだ。
 足先の方は感じない。患部はまだ感じる。もう少し待つ。やはり冷感がある。患部に関しては、少しでも冷たいと感じられたらそう言おうと思った。後で痛い思いをするのは御免だった。
 しかし、完璧にやり過ぎたのかな。たとえわずかでも冷たさが感じられたら「冷たい」と言っていたものだから、結局、麻酔注射をもう一発打たれることになった。
 同じことを繰り返す。腰の一点を決め、そこに針が刺さり、ズブズブと奥に入り込んでくる。まあ、一度経験すると、しかもつい先ほど経験したばかりのものだから、何となく余裕はあった感じがする。
 2度の麻酔注射でばっちりだった。手術の準備がそそくさと進められる。僕の下半身はもう痺れて動かない。両手は固定され、視界は手術場面から遮られる。
 手術が行われているのだろう。僕の方はまるで感覚がない。さまざまな機器が、それぞれキュイ~ンキュイ~ン、ゴーゴー、ザーザー、ピコーンピコーンと音を立てる。こうした音を聞いていると、ああ、手術が行われているんだなと実感する。

 麻酔の経験はちょっと貴重だった。自分の身体の一部でありながら、どこか自分の一部ではないような不思議な感覚があった。
 例えば、左の足の付け根あたりで、何か「もそもそ」されているような感じがしていた。近くのスタッフに「僕の膝、手術されていますか」と尋ねると、その人はチラッと主治医たちの方を見て、「はい、今、まさに膝を手術してますよ」と。
 自分の体のどこを触れられているかという感覚と現実とが噛み合わなくなってくるのだ。よく考えると、尿道の管なんかいつ入れられたのか分からない。

 痛みや気分が悪くなったら言ってくださいねと、親切に看護師さんが言ってくれた。自分の要求よりも、手術が順調に終わってくれる方がありがたい。それでも、二度、要求を出した。
 最初は、割れた骨をボルトでつなぐ時だろうか、カンカンカンと打ち付けるのだ。その連打がビリ、ビリ、ビリと全身に響いてきたときだ。
 二度目は血圧が急激に上昇して、寒気のためにブルブル震え始めた時だ。どちらも看護師さんたちが対応してくれる。あの時は本当に寒かった。自分の意志に関係なく、震えだし、また、自分でそれをどうにもできない。

 そんなこんなで無事手術は終了した。途中、スタッフさんの交代の時間もあって、やたらとスタッフの顔ぶれが変わったという印象を受けた。それでも、どうにかこうにか、人生初の手術体験も無事にこなした。
 ただし、本当につらいのはこの後だったけど。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

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