12年目コラム(8):勉強会にて
ある学会が主催する勉強会に参加した。1997年頃だったと思う。
当時はいろんな勉強会や研究会、講義に参加したので、正確にどの勉強会の時だったかということがはっきりしていない。
まあ、それはそれでいいとして、その勉強会で、ある男性が発言した。「この勉強会は臨床心理士の得点になりますか」と。主催側の答えは「ノー」だった。間もなく、この男性は退場した。資格が威力を持ち始めるとこのような人が出てくるものだ。
彼が「得点」と言ったのかどうか、正確には覚えていないのだけど、要するに、臨床心理士資格協会が認定する勉強会であるのかどうか、これに参加することで資格取得のための得点につながるかどうかということを、この男性は問うたわけである。
資格にこだわる人は、資格取得のためだけに勉強するようになるだろう。当時、もはや臨床心理士資格にこだわりのなくなった僕からすると、この男性が愚かに見えた。勉強するのは自分自身のためである。自分のために勉強したことが人の役に立てばいいわけだ。すべて自分のために勉強するのである。
この男性は、せっかくの勉強の機会を、資格に直接関係しないからという理由だけで、去ってしまったのだ。知恵がないうえに、勿体ないことだ。
きっと、この男性は臨床心理士の資格を取得しただろうと思う。その目的だけを追求していれば、必ず取得できると僕は思う。でも、きっとそこまでだろう。
もちろん、彼のような人間ばかりではないということも僕は認める。それはごく一部の人だけであると信じている。肝心な点は、資格それ自体に威光が与えられると、どうしても彼のような人が生まれるということなのだ。何事も資格のためにするようになり、資格を超えた所にあるものが見えなくなるのだ。
同じことは、臨床心理士の資格者だけを求めるクライアントにも言えそうである。その資格を有していないというだけで、実際にお会いすることもなく、最初から相手にされなかったり、切り捨てられた経験も僕にはある。その人がそのような考え方をされるのは、それはそれでいいとして、いつも僕に残るのは、その資格だけが先行して独り歩きしているという感慨である。
僕は今の資格で十分だ。今さら臨床心理士資格なんて目指さない。
資格というものは、どんな資格であれ、それを取得するために時間とお金がかかるものだし、取得した資格を維持していくためにも費用がかかるものだ。だからあまりたくさんの資格を持つ必要もないと僕は考えている。
それから、学会に属することも考えものだ。これはこれで別に書いてもいいのだけど、学会に参加すると、やはりお金もかかるし、仕事というか雑用も増える。とても煩雑なもののように思えてしまう。ましてや、日本臨床心理学会と日本心理臨床学会の例のように、学会どうしの対立やしがらみに巻き込まれるのも鬱陶しい。それに、これは僕の個人的な偏見かもしれないけれど、学会なんかはけっこうなタテ社会のような気もする。あまりタテ社会の中で生きていける人間ではないと僕自身思うので、そのことも学会所属に対して抵抗感を生み出していると思う。
結局のところ、僕はこういう人間なのだ。こういう考え方をしている人間なのだ。こういう僕を少しでも信用してくれる人とだけ仕事をしていければいいと、そう思う。有名にならなくとも、派手な活躍をしなくとも、信用してくれるクライアントと今後とも会うことができれば僕は幸せである。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)