5月18日(水):カウンセラー派遣ニュースに思う
熊本県の地震で被災児童のためにスクールカウンセラーが40人ほど派遣されたと、今朝のニュースで聞いた。
40人とはね。一人当たり日当5万円だと見積もると、一日200万円の支出ということか。十日で2000万円、一か月だと6000万円くらいになるか。そんな金があるんだったら一刻も早く街を復旧すべきだと僕は思う。いつまでも地震の傷跡が生々しく残っていることの方が子供を脅かすだろうと思うのだが。
まあ、それはいいとして、スクールカウンセラーが現地に行って何をするつもりだ。子供たちをどうしようっていうんだ。
子供たちが不安になっているのはわかる。どうにかしてあげたいという気持ちもわかる。僕個人の意見では、各町内や各学区に拠点を設けて、そこに職員や地域の人を常駐させて、不安に襲われた子供がいつでもそこに駆け込めるというようにするといいと思う。
子供に関わるのは、あくまでもその地域の大人たちである。今後ともそこで生活する大人たちである。協力してくれそうな大人を応募して、志願してきた人たちにカウンセラーが指導なり教育なりをするというのなら僕も許せる。
実は、阪神大震災の時、現地でカウンセリングを実施するカウンセラーの募集があった。僕のところにもお声がかかった。当時、一緒に勉強していた友人はそれに参加したようだったが、僕は辞退した。一週間かそこら現地に行って、何ができるというのだ、そんな思いから辞退したのだ。
もちろん、そういう活動をしてもいい。しかし、短期間でそのカウンセラーはいなくなるわけだ。永続的というか、長期的に関わることがないわけだ。大人ならいざ知らず、相手が子供である場合、これがどれだけ子供を苦しめることになるだろう。
被災児童は、目の前でさまざまなものが失われるという光景を見てしまったのだ。家も生活も、これまでの日常も、そういうものが失われてしまったという経験をしてしまったのだ。場合によっては、身近な人が死ぬのを目の当たりにしてしまったという子供もいるかもしれない。
僕が思うに、自分に関わってくれた人が、速やかに自分の目の前からいなくなってしまうということ、これがこの子たちの一番恐れていることではないだろうか。親切なカウンセラーさんと知り合う。このカウンセラーさんがいると安心する。でも派遣期間が来たのでカウンセラーは去って行く。その時、子供がどんな思いをするだろうか。
だから、その子たちに関わるのは、今後ともその町に暮らすであろう人たちがいいと思うのだ。復興後も、子供の前から姿を消すことのない人たちが関わるというのが大事なのではないかと思う。
被災地にスクールカウンセラーを派遣するのならそうしてもいいが、僕にはこういう活動が意外と子供の目線を無視してなされているように思うことがある。不安に怯える子供を一人にしない。僕もそれには賛成だ。そこで援助者が方々からワンサカ駆けつける。期日が来ると、今度はその人たちが一斉に引き上げる。僕の認知の歪みなのか、心的投影物を見てしまっているのか、どうも、そこで子供が置き去りにされてしまうように僕には見えてしまうのだ。
まあ、僕個人があれやこれや言っても、どうしようもないのだけどね。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)