2月22日(月):声を出す
朝、思うところあり、音読をする。本を声を出して読む。面接の録音を聴き直して、自分の声が聴きとりにくいと感じたからだ。
あまり咽喉は強くない。だから少し鍛えるつもりで音読する。ついでに勉強にもなればいいことだ。
一応、三段階で考えている。まずは音読をして、声を出し、咽喉を少しばかり強くする。次に滑舌を考える。最後に抑揚とかアクセントのことを考えてみる。そういう計画だ。
午前、午後と仕事をする。朝の発声練習が良かったのか、声が出しやすい。
夜は空きがある。久しぶりに自助グループに顔を出してみようかとも思っていたが、何となく気が重くなり、中止。その代わりにキーボードを弾く。
音楽ももっとやりたいと思っている。
すごく長いこと弾いていなかったような気がする。指がまるで動かない。手首も安定していないのが分かる。また一からやり直すことになるのか。
P・Eジョンソン『我と汝』を何とか読む。「なんとか」というのは、後半はけっこうキツかったからだ。前半は心理学に重点が置かれているけど、後半になるほど宗教に重点が移る。あまり宗教的な内容は、それ自体は素晴らしい内容だけれど、今の僕には合わない感じがしている。もっと臨床的なものが読みたい。でも、この本に書かれていることのいくつかには同意する。また、いつか取り上げたいとも思う。
夜は飲みに行く。朝の発声練習が効いたのか、ここでも僕のお喋りが止まらない。声が出しやすくなると、これだけ話したいと思うようになるものなのかと、改めて思う。
話の内容などくだらないものだ。ジャズとか、音楽の話をする。年配の人が相手だったが、この人もよく喋る。その上、人の話は聞かないという、ひどいものだ。それでも、たまの話し相手としては悪くない。
こじんまりした店が好きだ。店員と客の、客同士の距離が近いというような店で飲む。お互いにユニークな個性を発揮し合い、お互いにそれを認め合うような感じがして、いいなと感じる。
あまり大衆的と言うか、大勢の客に紛れてしまうのは、そういう気分の時もあるけど、やはり面白くないのだ。埋没感とか、置いてきぼり感をどうしても覚えてしまうこともある。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)