2月17日:今日見たテレビのこと 

2月17日(水):今日見たテレビのこと 

 

 なかなか最悪の日だった。足はいつも以上に痛むし、その他の所の痛みも激しかった。うまく歩行できないので、電車は乗り遅れるし、高槻に来たものの、予定の作業はすべてこなせず終いだった。 

 予定では、今回の処分作業で、ごみ袋15袋くらいにはなるだろうと思っていたが、結局、その半分の8袋になった。今度はゴミ出しがたいへんだ。書架からも100冊ほど減らそうと計画していたけれど、実際に減らしたのは70冊くらいだ。文庫本でも30冊ともなればけっこうな重さである。なんとか40冊持って帰ったけれど、足の関係もあって、メチャクチャ体力を使った。ヘトヘトである。 

 午後からは、もはやその作業をほとんど中断して、ずっと勉強していた。 

 帰宅後は、書き物をしながらテレビを観る。 

 

 KBS京都でビートたけしさんの「等々力ベース」をやっていた。再放送らしいが、ジャズのことをやるというので見てみた。たけしさんも若い頃はジャズ喫茶でボーイをしていたんだな、初めて知った。 

 番組の中で言われていたけど、いい演奏っていうのは、すんなり耳に入って来るし、その音楽世界にすっと入っていけるものだ。本当に同感で、いい演奏に浸る幸福感は味わった人でないと分からないものだ。 

 

 その後、特に見るでもなく、「水曜日のダウンタウン」を見ていた。 

 これもその時々のプレゼンによって、すごく面白い時もあればそうでもない時もある。今回のは「ふ~ん」という感じだ。 

 親が子供に、「あなたは○○から拾ってきた」は、やはり「橋の下」が一位だったか。意外だったのは、こういう表現が外国にもあるということを知ったことだ。けっこう、世界共通のものなのかもしれないな。 

 しかしながら、例えば母親が我が子に向かって、「あんたは橋の下で拾ったんや」と言う時、その言葉は母親自身に向けて言っているものだ。子供に向けて言っているようであって、母親が自分に言って聞かせていることなんだと思う。子の来歴を否認したい気持ちの表れなのだと思う。そこを否認したくなる気持ちと同時に、我が子を見捨てられない気持ちが相俟って、ああいう表現になるのではないかと思う。 

 その後のプレゼンは、鬼の角に関するものだ。西洋の悪魔像なんかは、角の数はその力の強さを示すと言われている。角の数が多いほど強力なのだ。それをそのまま適用すると、一本角より二本角の方が強い鬼なのだ。そして、青よりも赤の方が強さを表す程度が大きいだろうから、赤鬼が二本で、青鬼が一本というイメージができあがったのではないだろうか。 

 

 その後、就寝の準備をして、部屋に戻り、もう一度、テレビをつけてみる。 

 ニュース番組の途中だった。サイト上のある書き込みのことをやっていた。 

 その書き込みは、子供の保育園の抽選に落ちたということで、「日本死ね」と罵倒しているものだった。なんでもネット上で話題になっているらしい。 

 街頭インタビューでは、その気持ちも分かるという意見も多かったが、僕には分からないことだらけだった。 

 もし、この人が僕のクライアントだったら、必ず、抽選に落ちた場合の計画を立ててもらうだろう。京都や大阪も待機児童が多いので、こういう話をよく聴くのだ。 

 抽選に落ちた場合のことを準備しておくことは、何もしないよりもましだと思う。常に思い通りになるとは限らないのだから。その準備が無駄に終わったとしても、それはそれで構わない。 

 この人の文面を見ると、抽選に落ちた、会社を辞めないといけない、日本なんか死んでしまえという論述の進め方をしているが、すべてに飛躍がある。現実は保育園の抽選に落ちたという部分である。考える際にはこの現実から離れてはいけない。 

 そこから会社を辞めないといけないと、あたかも宿命論者のように、そう決まっているようだ。ここにまず飛躍がある。仮に会社を辞めることになっても、そこから新たな生きがいを見出す可能性は十分にあると思う。それに、どうにか仕事を維持しながら子育てをやっていく手段というのも考えて行けば道が開けるかもしれない。 

 さて、育児のために仕事を辞めないといけない、こんな日本は死ねと言っているわけだが、ここにも飛躍がある。この人は自分のその体験(抽選に落ちた体験)を恨んでいると思う。その恨みは限りなく広がって、日本の国にまで拡大してしまっている。一つの望ましくない体験が、世界全体が望ましくないというところまで発展していっており、この人はそれに違和感を覚えていないかのようである。 

 まあ、あまりこの人のことについては触れないようにしよう。現実にどんな人であるかを僕は知らないし、こういう「めくら分析」は百害あって一利なしということも生じるので、この辺で控えよう。 

 

 最後に一つ、政治に関して綴っておこうと思う。僕は政治のことは語らないようにしているけど、この人の書き込みで気になった点があったので、それを記しておこう。 

 政府が「一億総活躍社会」とスローガンを掲げているけど、これはこの言葉を受け取る人によってさまざまに解釈され、イメージされるだろうと思う。書き込みをした人は、これを好ましい政策として受け取っていたのかもしれない。だから、失望したのだろう。あんなスローガンを掲げておいて、この現実はどういうことだとお怒りになるのだから。 

 しかし、政治というのは「言い換え」の技術だと思う事が僕にはある。はっきり言えば、「一億総活躍社会」というスローガンと「富国強兵」の間に如何ほどの差異があるのだろう。僕には同じように聞こえてしまうのだ。 

 従って、政治について考えたり、政策を耳にしたりする時、僕たちには「知恵」が求められるのだ。政治と付き合おうと思うなら、僕たち自身が「知恵」を持たなくてはならない。僕はそんな考えを有している。美辞麗句や輝かしいスローガンをそっくりそのまま鵜呑みにしない方がいいのだ。エポケー(判断停止)を行い、事象そのものに目を向ける必要が最もある領域だと思う。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

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