2月17日(水):唯我独断的読書評~『真珠郎』(横溝正史 著) 角川文庫
横溝正史と言えば、金田一耕助シリーズが有名であるが、金田一ものの数々の名作が生み出されるのは昭和20年代である。それ以前の昭和10年代の著者作品も捨てがたい。
本作『真珠郎』は昭和11年から12年にかけて連載された長編である。病気のため筆を断っていた著者が昭和10年に文壇に復帰するや、一挙に多数の作品を発表するようになるが、その勢いの真っただ中で書かれた作品である。
大学講師の椎名耕助は、同僚の乙骨三四郎に誘われて、休暇を信州で過ごすことになる。そこで彼らは鵜藤家に厄介になる。そこには鵜藤老人と美しい姪の由美が暮らしていたが、この二人以外の気配を椎名らは感じ取る。蔵の中から聞こえる物音、真夜中の湖に佇む美少年の存在。そして、道中出会った謎の老婆の予言は的中し、凄惨な殺人事件が発生する。この信州での最初の事件は、舞台を東京に移してからの第2、第3の惨劇の幕開けでしかなかったのだ。
真珠郎が鵜藤老人の胴体と生首を持って失踪する場面は、江戸川乱歩の「踊る一寸法師」を連想させる。どこか乱歩を意識していたのかもしれない。
舞台は信州から東京へ。探偵の由利麟太郎の登場。第2、第3の事件発生。ラストは再び信州へ戻り、悲恋の結末を迎える。
由利麟太郎は戦前のシリーズキャラクターで、昭和10年代の著者作品の多くに登場している。通常、新聞記者の三津木俊助とコンビであるが、本作のように単独で登場することもある。由利探偵は、金田一探偵のように固定したイメージがなく、いささか地味な感じがしてしまうが、その一方でいろんな人物像を投影できてしまう。
本作で椎名が由利探偵を評して言う。「なんというこの人は不思議な人物であろう。まるで魔術師が帽子の中から一つ一つ、いろんな品物を取り出して観客を驚かせるように、この人は次から次へと、私の眼の中の埃を取り除いてくれるのだ」。由利探偵が登場して、言葉を発するたびに、錯綜した事件が整理されていくようで、この感想がとてもしっくり来る感じである。
さて、本作であるが、物語としてはすごく面白い。ただ、ミステリ、推理小説としては、いささか無理があり、破綻している箇所も感じられた。
トリックは、著者お得意の、「一人二役」「二人一役」「三人一役」など、人物の入れ替え系のトリックがふんだんに使用されている。そのため、この場面でのこの人は本当は誰だったのか、はっきり分からないところもある。老婆と真珠郎はそれぞれの場面で誰が演じているのか、詳細がわからなくなる。ましてや伊那子の役回りはどうなっているの、という感じだ。
初盤ではうっかり口を滑らせたりする椎名が、後半では口が堅くなっていたり(東京で真珠郎を見かけたことを由美に言わないでおく場面など)、同じく、乙骨も物語の進行につれて人間が変わったかのようになる。ちょっと不自然な感じもする。
真珠郎という殺人鬼を製造する過程もピンとこないし、それに由美が感化される部分も、いささか無理があるというか、破綻している感じがする。
それに第3の事件での、電話口に出る真珠郎は、一体誰だったのか、謎である。
そもそも真珠郎は男でなければならない。というのは、鵜藤老人の死体を引きずって走ったり、第2の事件の逃走といい、女では無理だという気がする。
一番、破綻を来しているのは、第2の事件である。乙骨家で起きた事件だ。椎名が隣室の鍵穴から犯行を覗き見た事件だ。もし、僕がこの小説の謎解きを本当に理解しているなら、この第2の事件はお芝居になるはずである。乙骨と由美と真珠郎役によるお芝居でなければならない。ところが、ここで乙骨が先に負傷し、真珠郎役が由美に襲いかかるという順番があるが、後の展開を見ると、ここでは絶対に男手が必要なのだ。つまり、矛盾があるということだ。
推理小説は、あまりネタをばらしてはいけないという暗黙のルールみたいなものがあるので、はっきり言えないのがもどかしい。要するに、真珠郎役を演じるもう一人別の男が存在しなければならないのだ。場面や状況に応じて、その男が真珠郎役を入れ替わるのでないと、辻褄が合わない感じがする。
謎解きとしてはアラが目立ち、ご都合主義的な面がないわけでもないが、それでも本作は面白く読むことができる。それは本作が探偵小説としての顔以外に、耽美主義小説の一面も持っているからである。耽美主義的小説として、悲恋の物語として読むことが可能であるのだ。
現に、本当の主人公である由利探偵は、中盤になってからようやく登場するし、事件の解明をすることもなく、ラストで湖に落ちて舞台から退場する形になっている。探偵の存在感はあくまでも最小限にしている感じがする。言い換えると、凄惨な事件が起こり、謎が生まれるが、それらは探偵小説としての事件や謎ではなく、椎名と由美の悲恋のお膳立てとしての事件や謎であるという印象を受けるのだ。だから、その事件や謎の解決に不可解な点が残っても、この二人の運命を共にして、爽やかな読後感を覚えるのである。
さて、本作の独断的評価であるが、推理小説としては3点だ。でも、ストーリー展開や語りの上手さ、そして悲恋の物語として読むなら4点をつけたい。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)