12月7日(月):困った習癖
新しい週の始まりだ。気合を入れて、と思ったけれど、今週はそれほど忙しくない。年の瀬が近づくと仕方のないことであるが、なかなか来れない人も出てくる。継続中の人でも、時間が合わなかったり、別の予定が入ったりで、コンスタントに来れなくなったりする。
年末にバタバタする習慣は止めた方がいいと僕は思うのだが、いかがだろうか。お歳暮や年賀状も考えものだ。僕は一切そういうことをしないと決めている。送る人だって、一人でも数が減ると負担が少なくなるのじゃないかと思う。
一番よくないのがクリスマスだな。知人や友人でも、子供へのクリスマスプレゼントで頭を抱えている人が少なくないようだ。必ず子供がリクエストするそうだ。中には母親(妻)が唆している例もあるとか。
クリスマスはもともと冬至のお祝いだったそうだ。それをキリスト教が取り入れたのだが、当然、それは異教の習慣だから反対していた人たちも多かったそうだ。アメリカは、プロテスタントの人たちがヨーロッパを捨てて移民してきただけあって、最後までクリスマスを拒否していたそうだ。今では信じられないことだけど。まあ、それはともかく、冬至のお祝いなんだから、静かに春の訪れを期待して待つくらいでいいのではないだろうか。浮かれ騒ぎするのもいい加減に止めたらどうだろうかとも思っている。
さて、年末のゴタゴタとは縁がない、クリスマスとはもっと縁がない。おまけに仕事の量が減る時期ときた。もう、大掃除しかないね。今日から少しずつ取り掛かる。
この時期、恒例の大掃除だ。僕の場合、年内にそれが終わらないというのも恒例である。ある程度までやって、あとはまた今度という具合だ。掃除はせなアカンとは思うけれど、そんなに根詰めてやらんでもエエかなという気持ちもある。
取り敢えず、今日は机上の書類の山(山は言い過ぎか、束と言うべきか)二つを減らした。そして食器類をハイタ―に浸してピカピカにする。後者は1,2週に1回はしていることだが、今日、それをしておく。年内にもう1回くらいするかもしれない。
掃除に関しては、僕は嫌いではないのだけれど、上手ではない。それに毎日コツコツ掃除するという習慣が苦手だ。ホコリがつく前に拭くぐらいの方がいいのだろうけれど、ホコリが積もってからでないと拭く気になれないのだ。僕の個人的経験では、うっすらとホコリが積もった時が一番いいタイミングである。要するに、掃除をして「きれいになった」という実感がないと面白くないということなのだ。
常に整頓していれば、机の上もグチャグチャにならないのだけど、ある程度乱雑になって、目に見えて散らかっている状態になって、そこで初めて整頓しようという気持ちになる。そういうモチベーションが発動されるのだ。そして、一気に整頓する。「ああ、スッキリした」と、そこで爽快感が生じないと、やった気持ちにならないのだ。我ながら困った習癖である。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)