11月20日:寝不足にて 

11月20日(金):寝不足にて 

 

 朝、寒さで目が覚める。4時頃だ。寝たのが2時頃だったから、あまり寝れていない。とにかく寒くてブルブル震えていたので、服を重ね着したりして対策を練る。そうして、ゴソゴソしているうちに、目が冴えてきてしまった。 

 実際に気温が低かったというのもあるけど、この寒気はどこか内側から発しているような気もしていた。 

 取り敢えず、布団にもぐりこんで、枕元に積んである本を手にする。『夫と妻であり続けるための心理学』に手が当たる。この本は、古本屋で叩き売りされていて、何か役に立つかもしれないと思って購入したものだ。どれ、ひとつ読んでみるか。この本が面白ければこのまま寝ずに読み続けるだろう。この本が面白くなければ、そのまま寝てしまうだろう。どちらになっても僕には良いことだ。 

 ああ、しかし、まさかこんなことになろうとは。僕は憤怒のために目が冴えてしまったのだ。この本の第1章を読み終えた時点で、僕はたまらなく頭にきていた。 

 著者は25年の臨床経験のあるアメリカ辺りの精神科医だそうだが、それだけの経験を積んでいながらこの程度のことしか言えないのかと思うと、他人事ながら情けないような気持ちに襲われた。 

 1998年に出た本なので、夫婦の問題でも、当時は問題として注目されていたことが今ではほとんど顧みられなくなったり、当時はなかった新しい問題が生まれていたりとか、そうした違いもあるだろう。この本は夫婦関係が成立している二人が抱える問題を取り上げているが、現実に僕がお会いするのは夫婦関係になれない夫婦、あるいは夫婦関係にならせてもらえない夫婦だったりする。前提の部分がすでに違うのだ。 

 最初の章だけを読んで全体を論じるわけにはいかないのだが、こういう「心理読み物」系はしばしばよろしくない傾向を含む、と僕は思う。 

 例えば、著者は、「夫婦で問題を話し合う時は、一つに限定して、過去の問題を持ち込まない」という提言をしている。これはこれで正しい。しかし、著者がこのようなことを言うということは、夫婦問題を抱える人たちはそういうことができない人であるという前提を含んでいるはずである。僕はそれが正しいこととは思えない。夫婦問題を抱える人たちはそういうことができる人たちである。他の多くの関係や場面において、その人たちは著者が提言するようなことができているのである。ただ、その関係においてそれが難しくなるわけだ。 

 つまり、「こうすればいい」ということは誰でも言えるし、誰でもそれが正しいということは分かるのである。これを言うのが専門家だと信じている人もあるだろう。しかし、「こうすればいい」に対して「抵抗」する何かがその人たちにあるので、その関係においてそれができないということなのだ。著者は(僕は第1章しか読んでいないけれど)、その限りにおいて、それに触れていない。この「抵抗」についてきちんと述べることができるのが専門家だと僕は考えている。 

 

 結局、そのまま起きて、すぐに高槻に行く。喫茶店で本を読んで過ごし、そのまま職場入りする。表向きは定休日だけれど、事務作業なんかをこなす。寝不足で、あまり捗らず。 

 ベネデッティの本は今日は読まず。その代わり、フロム・ライヒマンの分裂病論をいくつか読む。 

 『万霊節の夜』は第5章を読む。リチャードがサイモン師父に会いに行く。師父の「秘儀」に触れる。リチャードはそこで、妻のレスターではなく、イブリンと会う。前章に引き続き、現世と別世とが交錯するような不思議な体験が綴られる。 

 

 寝不足以外、体調不良はないけれど、そうかと言って、それほどいいわけでもない。お昼はやはり食べられず。朝ごはんを食べ、夜は小さなカップ麺を食べただけだった。 

 その後、お酒を飲みに行きつけのバーに行く。その店で会う飲み仲間がいた。どうなるか今の段階では分からないけれど、来年の夏頃に転勤になるかもしれないと、彼は話す。また親しい友達と別れることになるのかと思うと、今から気分が重たくなる。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

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