12月1日(火):心はまだ生きている
昨日はさんざんな一日になった。ブログには書かないでと言われているので、一応それは守ろうと思うけれど、ある人との関係で、昨日予定していたことがほとんどできず、今日に持ち越されてしまったのだ。今日は今日で計画していたこともあったけれど、すべて中止して、昨日する予定だったことをする。
一日を損失したけれど、これで縁が切れて、そのことで今後は悩まされなくなるなら、安い犠牲だったと思う方がいいだろう。
昨日は原稿を仕上げようと思っていたのだ。<テーマ223>から<テーマ228>まで、ある程度書き上げた原稿があって、それを校正して、内容を一部整理して、公開までこぎつけようと計画していた。今日、6時間近くかけてそれをやった。
公開は今日、この後でするかもしれないし、明日になるかもしれないけれど、とにかくやることはやったという感じである。
夕方、CDを買った。その帰途にて、この日記を書いている。
昨夜はムシャクシャして、酒を飲みに行ったけれど、それもまたストレスを溜めこんだだけに終わった。どこに居ても愉しいとは思わない。久しぶりにガールズバーなる店にも行ったけれど、ダメだ。経営が上手じゃない店だった。
その後、行きつけのバーに行こうかと思ったけれど、気分が億劫になってきた。腹が減って、何か食べようと思うが、こういう時に限って、ラーメン屋とかが満席なのだ。どこにも僕のための場所はないかのよう。
帰ろうと思い、駅に向かう。ホームにて、勉強しようとテキストを鞄から取り出す。鞄の中に何かがある。ああ、そうだ、あの人から貰ったお菓子があったのだ。空腹にも関わらず、僕はそれを自分に納める気持ちにならなかった。それは受け入れられないことだった。今はその人に対して嫌悪感しか覚えない。不快な気分のまま帰宅する。
そんなこんなで昨日は何もできず、すべてが今日に持ち越されたのだけれど、音楽でも聴きながら、気長に原稿を仕上げていく。どうせきちんと読まれない原稿なんだから、適当にしてもいいのだけれど、ある程度のものにはしておかないといけない。
音楽だけれど、コールマン・ホーキンスの「ジェリコの戦い」をチョイスする。名盤らしいけれど、あいにく、今の所、僕にはそれのどこがいいのかよく分かっていない。もっと聴きこまないとと思い、選んだのである。
このアルバム、ライブ盤なんだけれど、ちょっと音質がよろしくないという感じがする。それがこのアルバムに取っ付きにくくさせている一因なのかもしれない。オープニングは「オール・ザ・シングス・ユー・アー」であるが、この曲のこのイントロのスタイルは誰がオリジナルなのだろう。ホレス・シルヴァーもこのスタイルのイントロをやっているので、誰かが定着させたのだろう。続く「ジェリコの戦い」では、ホーキンスのテナーサックスソロが二回出てくる。影響を受けたというソニー・ロリンズも「セント・トーマス」でスタイルの異なるソロを二回に分けて演奏しているけれど、ホーキンスをどこか意識していたのかもしれない。
3曲目は、僕の好きな「モリタート」だ。クルト・ワイルのオペラで使用された曲だけど、クルト・ワイルの曲中もっとも好きな一曲かもしれない。先述のロリンズも「サキソフォン・コロッサス」で同曲を取り上げているが、同じテナー奏者で、同じバンド編成で(しかもピアノはどちらもトミー・フラナガン)なので、聴き比べてみるのも一興かもしれない。
しかし、このアルバムを他のミュージシャンとの対比でしか語れないということは、まだまだこのアルバムをよく知っていないのだなということを痛感する。
音楽は好きだ。今はジャズが面白いと感じている。面白いと感じたり、興味を持てたりすることは、僕の心がまだまだ生きていることを示している。そう思うと自分でも安心する。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
(追記)
この日、ブログを二本書いた。ある人とのブログには書いてくれるなという約束を守ったバージョンとそうでないバージョンだ。結局、約束を破った方を公開して、これはお蔵入りになったものだ。この機会に両方とも公開しておく。
(平成29年7月)