6月21日:浮いたり沈んだり 

6月21日(日):浮いたり沈んだり 

 

 昨日は何かと忙しかったが、今日は比較的穏やかな日だ。 

 

 昨晩は久しぶりにサイゼリアに行った。店長さんが代わってから行く気がしなくなっていたけれど、どうなっているか見に行ってやろうという気持ちになったのだ。 

 前の店長さんは良かった。僕のことを見知っていてくれて、何度かミニストップさんでお会いしたことがある。タバコを買いに彼はわざわざそこまで行くのである。ローソンの方が近いんじゃないかと思うのだが。 

 その店長さん、僕は名刺までいただいたのだけど、今は天王寺の方のサイゼリアで店長をしているそうだ。あの店長さんなら、どこに行ってもお客がついてくるだろうなと思う。 

 昨晩、行ってみて、やっぱり行くんじゃなかったという気持ちになる。あれほど注文を繰り返したのに、注文を間違えるのだからびっくりする。 

 また、僕は喫煙席に座るのだけれど、どうしてそこに高校生がいっぱいおるのだ。高校生たちは別に喫煙するわけじゃないのだけれど、これじゃあ、なんのための分煙か分からないじゃないか。 

 僕の隣では高校生の一団がはしゃいでいる。遊園地か、ここは、と思いつつ、わざと彼らの方にタバコの煙を吹き出す。ささやかな嫌がらせだ。 

 仕切りを隔てた後ろの席にも高校生たちがいて、ガチャガチャはしゃいでいる。僕の背中にガンガンと何かが当たるのが響いてくる。インターハイがどうこうとか言っていたからやっぱり高校生だろう。 

 僕の向かいには三人の女子高生たちがいて、僕の方を見ている。明らかに見ている。ジーッと見ている。決して僕の注察妄想ではない。そこは請け合ってもいい。そして何か言い合っている。「あのオッサン、ウザイ」とか「キショい」とか言っているのだろう。勝手にしやがれだ。 

 こんなところに居てられるかと、結局、食事の途中で僕は席を立った。 

 その後、飲みに行った。むしゃくしゃしていたので、ヤケ酒になってしまったよ。 

 

 今日、一ついいこともあった。去年来られていたクライアントから電話があったのだ。偶然にも、最近、僕も彼のことを考えていたのだ。また、来てくれそうな感じである。いいことだ。 

 まだ、僕を必要とする人がいてくれる限り、僕もしっかり生きないといけないなと思う。児童期をそのまま持ち越したような高校生軍団に気持ちを掻き立てられるようじゃあ、僕もまだまだだなと、自分でもそう思う。 

 

 もう一人、明日の予約の人からキャンセルの電話があった。僕はしまったと思った。僕が迂闊だったのだ。その人にそういうことが起こりそうなのはうすうす感じられていたのだけれど、気持ちが焦っていたのもあって、油断していたのだ。悔しいし、僕は自分の軽率さに腹が立つ。 

 

 その後、夜のことだけれど、先週の水曜日に作成したリストを取り出す。見ただけで気持ちが重たくなるあのリストだ。あれから逃げ回っていたけれど、やっぱり逃げてはいけないと思い立つ。いくつか、今日の内にできることはしておいた。どれだけ膨大な作業リストであれ、こなしていけば終わるのだから、回避しないようにしよう。そして、明日はこのリストに則って一日を構成しようと決心している。 

 

 ふぅ~、穏やかな一日のはずが、けっこう浮いたり沈んだりの一日になったな。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

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