6月19日(金):評価しようのない一日
火曜日に原因不明の「腹ピー」に悩まされて、水曜日も木曜日も、あまり体調はよろしくなかった。
水曜日の夜に、僕の頭に占めている諸々のことをリストにしてみた。やらなければならないこと、やろうと決めていること、やりたいと思うことなどを細大漏らさず書き連ねた。どんな小さな作業であれ、リストに挙げた。むしろ、そういう些細な作業とか用事の方が抜け落ちてしまいがちになるし、それを気に掛けると、それだけで頭の中が占められてしまうのだ。
さて、そうして書き連ねていくと、膨大な量のリストになった。木曜日の朝は、非常に重たい気分で目覚めたのもそれと関係するだろう。それらに手を付けることが億劫にさえ感じられてきた。
頭の中を整理するために作成したリストなのに、自分を苦しめるようなものを作成してしまったなんて、相変わらず、僕は自虐的だなと思ってしまう。
今日、金曜日は、少し休むことにした。本当はそれが一番欲しいと思っていたことではなかっただろうか。一日中家にいようと決める。
夜、しっかり寝たのに、午前中にまた寝てしまう。そして寝れてしまうのだから不思議だ。寝るというのは、無関心になることの最も安易で手軽な手段だ。心を閉ざしたい時、人は眠るに限る。いや、人間はみな幼児期にそのことを多かれ少なかれ学んでいるものだと思う。
午後、テレビを見る。母が見ていたのだ。「ミヤネ屋」だ。精神科病棟でスタッフが患者に暴行を振るった場面が流されていた。医療ジャーナリストが出てきて解説している。見ていて腹立たしく感じた。
そこで取り上げられているのは患者である。暴行を振るったスタッフに関しては何も述べられていないのだ。僕は、こういう事件のある程度まではホスピタリズムだと思っている。病院や患者との関係とか雰囲気にスタッフが影響されてしまうのだ。そこがまったく考慮されてなくて、やれ患者がどうとか、うつ病や薬がどうとかいう話ばかりしている。バカらしくて見ていられなかったね。
さすがに一日中家の中にいるということに耐えられなくなり、夕方から散歩に出る。近所を歩き回る。
夜、帰宅して、何気なくテレビをつけてみる。ちょうど映画「マッド・マックス」が始まった。ちょうどいい、これを見ようと決める。この映画、いつだったか夢中になって観た覚えがある。久しぶりだと思った。
いやあ、「マッド・マックス」は面白い。見終わっても爽快感とかがまったく生まれないのだけれど、とにかく面白かった。これに関しては別に述べる。
そんなこんなで、一日が終了しようとしている。ゆっくり休んで、有意義だったようなそうでもなかったような、得るところがなかったようで得たものもたくさんあったような、なんとも評価しようのない一日だった。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)