5月17日:「サラダの夢」 

5月17日(日):「サラダの夢」 

 

<夢>「サラダの夢」 

 どこか待合室のようであり、食堂のような場所だった。僕は一人の女性を連れて入った。彼女は何か食べたいと言った。僕は厨房を覗く。そこには誰もいなかった。僕は中に入ってみる。食材はあるようだった。僕は何も作れないよと彼女に言った。すると、彼女はサラダでいいと言う。僕は、その場にあったありあわせの野菜を、なぜか弁当箱に詰め込んで、彼女に渡した。僕は厨房から恐る恐る見ていたのだけど、彼女はこれで十分だと言って、食べ始めた。 

 

(連想と感想) 

 ある部分ではとてもストレートな夢だと思った。親密さを求める気持ちが最近は強まっていた。友達付き合いできる女性がいないわけではないけれど、どの人もお酒でつながっている人たちだ。お酒でつながっていない女友達が一人いて、その人のことは少し心配しているのだけれど、なんの音沙汰もなく過ぎている。 

 女性と一緒で、他に誰もいないというのは、僕のそうした感情の表れのように思えた。 

 夢の中の女性は、僕の夢には時々登場する「寂しい感じ」の女性だった。僕は彼女を世話し、「養って」いる。夢の中の人物がすべて僕の心の一部を具現化しているのであれば、この「寂しい感じ」の女性は僕の中にある要素の一つだということになる。僕はその要素とどのように関わるといいのだろうか。 

 夢では僕は彼女にサラダを作ってあげる。彼女もそれを欲し、食する。野菜、つまり植物である。彼女はそれを取り入れる。植物的な何かをである。僕は彼女に植物的な生、あるいは植物的なエネルギーを与えないといけないということだろうか。そうでないと、この「寂しい」女性は僕の内面で大きな位置を占めてしまうということになるのだろうか。彼女が僕の心を占めるということは、僕が彼女の「寂しさ」に満たされ、それに同一視していることになる。僕がそこをしっかり養わないから、彼女の寂しさが僕の寂しさになってしまうのかもしれない。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

 

 

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