3月16日(月):「店長が刺される夢」
(夢)「店長が刺される夢」
「どこかのビルの廊下のような場所。カウンターが設置されていて、ちょっとしたバーになっている。ママさんと地元の飲み友達数人とで僕はお酒を飲んでいた。昔バイトしていた店の店長もその場にいた。廊下の奥から一人の男が現れて、店長に絡んでくる。男は店長に仇討に来たといったことを話す。カウンターから離れて、店長と男が口論する。店長は男を殴ろうとするのをグッと堪えている。男が懐から刃物を出した。その時、僕は何かを言ったのだ。男は店長を刺した。倒れる店長の元へ駆けつけた僕は、店長の胸が裂けているのを見た。ママさんに救急車を呼んでと頼む。すぐに店長は運ばれていった。カウンターに戻ると、ママさんが僕になぜあんなことを言ったのと尋ねる。最初、何のことだか分からなかったけど、男が刃物を抜き出した時に僕の発した一言のことだと説明される。ママさんは僕の一言が男を挑発させたのだと言う。僕は男を止めるつもりで言ったのだが、その場にいた数人もあれは挑発だったと言った」
(連想と感想)
自分では正しいと思ってしたことが、後からあれは間違っていたと非難される。僕はそれにいつも苦しむ。良心の呵責に苛まれる。前日、状況は違えど、良心の呵責を感じることがあったことも影響しているだろう。
男は、以前に登場した二人組を思わせる。ここでは店長が間に入る形になっている。この店長だけど、現実の彼は血の気が多く、でも僕とは仲がいい。僕からすれば父親転移を起こしてしまう対象だ。だからこの夢の店長は僕の「父親」像なのだ。
この「父親」が刺されて、僕はママさんに救急車を呼ぶように言っている。すっかり忘れていたが、先日、一人でお酒を飲んでいる時にふと頭に浮かんだことがあった。僕がこうしてお酒を飲んでいる時に、「父に何かがあったら、すぐに救急車を呼ばなあかんで」ということを母にきちんと言っておいた方がいいなと頭によぎったのだ。夢はそれに近い状況を描き出している。
このママさんは高槻の飲み屋の人だけれど、夢の中では、あるいは僕のその観念で捉えるなら、「母親」立場に当たる。僕はこのママさん、現実のママさんに母親転移を起こしていることに気づく。
家族状況で考えると、(これはつまり、僕に内在化されている家族状況ということだが)、内在化された父親は外的に対して力を発揮できず、母親は僕の罪悪感を刺激する存在なのだ。(中絶)
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
(付記)
どうもこれは最後まで書かれていないようだ。一応、最後まで書いたら僕は自分の名前を記入するようにしているが、未記入だったので、この続きがまだあるような感じだ。夢の中の話とは言え、実在する店長が刺されるという話だから、ちょっと考察しづらかったのかもしれない。
(平成29年4月)