1月18日:失われる光景 

1月18日(日):失われる光景 

 

 昨日(1月17日)は書けなかったから、少し昨日のことを書き残しておこう。 

 昨日は、本当なら休みだったけど、面接が一件入ったので、午後より職場に入る。 

 

 また一つ忘れていた事柄があった。クライアントから年賀状をいただいていて、今年最初にその人に会った時にお礼を言おうと決めていたのだった。そのクライアントが一昨日の木曜日に来られたのだけど、年賀状のことを僕はすっかり忘れてしまっていた。一日遅れで、昨日それを思い出したのだ。 

 次に来られた時に言おうかと思ったけれど、それだとまた忘れてしまう。だから僕はその人に電話をかけ、年賀状のお礼を伝えた。 

いきなり僕から電話が来たのでその人もびっくりしたかもしれないな。それでも僕から無視されているとか、大事に思われていないとか、そんなふうに思われるのも嫌だし、そうなるとその人にとっても辛いことだと思うので、幾分迷ったけれど、思い切って電話した。 

 僕の方からクライアントに電話をかけることはあまりないことなのだけれど、結果的に、電話して良かったと思った。 

 

 夜は飲み屋の女性につかまる。誕生日でもないのに誕生日を祝ってくれた。僕の誕生日のために彼女はワインを一本用意してくれていたのだけれど、僕が彼女と会うことがなかったために、ずっとそのままになっていたそうだ。 

 悪いことをしたような気持ちになって、彼女の働く店に行き、ワインをご馳走になる。誕生日も、三か月ほど過ぎたが、こうして祝ってもらった。嬉しかったけれど、取り敢えず義務を果たしたという感じも半分あった。 

 

 ここから今日のことになる。 

 今日は午前中は用事で天満橋の方に行っていた。僕の二人目のカウンセラーがこの近くのドーンセンターで仕事をしていて、当時はよくこの辺りにも来たものだ。 

 用事を終えると、懐かしさに少しその辺を歩いてみたくなった。近くに古本屋があったはずだと、記憶を頼りに歩く。いささか道を間違えたが、今でもその店があった。妙に嬉しかった。 

 今月は本を買いすぎだと思いつつも、つい二冊ほど買ってしまう。 

 

 それからさらに歩く。天神橋筋商店街まで歩く。この商店街に僕の探している店があるのだけれど、どの辺りだったか忘れてしまう。取り敢えず歩いてみる。 

 でも、ずっと歩いていたので、さすがに疲れた。喫茶店でもと思うのだが、案外、見当たらない。意外と少ないのかもしれない。 

 最初に遭遇した喫茶店に入る。先ほど購入した本を読む。コリン・ウイルソンの『敗北の時代』という本だ。なかなか面白いと感じながら読み進めていくと、睡魔に襲われる。あまり喫茶店で居眠りとかしたくないのだけど、少しだけ眠る。 

 商店街を歩き続ける。ここにも何軒か古本屋がある。覗いてみたけれど、もう買わないことにした。 

 探している店は見つからずだった。後で調べてみると、もう少し先の方だった。 

 扇町公園から方向転換して梅田に向かう。飲食街を覗いてみると、けっこういっぱいだった。なかなか経済が動いておると一人納得して、電車に乗り、高槻に向かう。 

 

 用事があったので、予約は入れていなかったが、電話番と勉強とキーボードのために職場に留まる。 

 電話も特になかった。キーボードは一時間くらい練習する。その後、コリン・ウイルソンの本に熱中する。その他、論文を少し読み、机の中を整頓する。 

 

 天満橋の辺りは本当に久しぶりだった。地形とか、大きな建物なんかはそうそう変わらないけれど、小さな部分を見ると昔とはかなり変わっているなと感じた。だから、今、見えている光景も永遠のものではなくて、必ず失われ、変わっていくものなのだと改めて感じた。 

 それでも、失われる光景を嘆くよりも、今見えている光景をしっかり見て、僕の中に留めていく方がいいなと思った。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

(付記) 

 都市も生きている。今見えている町の景観もいずれは変わっていく。失われるものもある。高槻だってそうだ。僕が開業した頃からずいぶんと変わった。失われるかもしれないものは、しっかりと心に刻んでいこう。 

(平成29年2月) 

 

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