9月6日:ミステリバカにクスリなし~『密輸人ケックの華麗な手口』 

9月6日(水):ミステリバカにクスリなし『密輸人ケックの華麗な手口』 

 

 僕が中学生の頃、毎月お小遣いの1000円を握りしめて本屋に通ったものだった。当時、1000円あれば文庫本が3冊から4冊買うことができた。 

 お目当ての本を選ぶと、それで700円くらいに達する。残りの300円を翌月に回せばいいのだけど、僕の悪い癖で、僕はそこで300円以内で買える薄い本を一冊入れるのだ。本書もそういう形で購入した一冊だった。そして、そういう形で購入したもの、つまり最初から購入する計画に入っていなくて、当日その場で行き当たりばったりに選んだ本に限って、後々まで忘れられない本になったりするのでる。 

 僕にとって、本書は、ロバート・L・フィッシュを初めて知るきっかけになった。そして、こんなに面白い話を書く人がいるということを知ることができたのだ。僕が余剰のお金を翌月に回すような倹約家だったら、ずっとこの本と出会えなかったかもしれない。 

 ロバート・L・フィッシュは、いくつかのペンネームを持ち、ユーモアからシリアスまでさまざまなミステリを書きこなす作家だ。いくつかのシリーズもあり、前者のユーモア系ではシュロック・ホームズものや殺人同盟シリーズが有名で、後者のシリアス系ではクランシー警部補ものが有名だ。クランシー警部補ものでもっとも有名なのは、スティーブ・マックイーン主演で映画化された「ブリット」がある。 

 そのフィッシュが新たに魅力的なキャラクターを創造した。それが密輸人ケック・ハウゲンスである。ミステリ小説はさまざまな悪党が生み出してきたけど、密輸人を主人公とするのは珍しいのではないかと思う。本書では、ケックの活躍する7短篇が収録されている。 

 7作の短篇は、ユーモアもあり、シリアスもありといったところである。ケックの友人にして記者の語り手に語り聞かせるスタイルから、三人称で綴られるものなど、文体もバラエティに富む。一作一作の出来不出来はともかくとして、どの作品も読み始めると最後まで読まずにはいられなくなるという魅力に溢れている。 

 それでは本書を紐解いてみよう。 

 

 最初に著者のまえがきがある。著者がどうして密輸人を主人公とする小説を書くようになったのか、それに関する著者のエピソードが語られる。こういうエピソードを読むと僕は不思議に思うのだけど、推理作家は推理小説の材料になりそうな出来事や話にひょんなことで遭遇するものなんだなと思う。それだけ作家が推理小説のアンテナを張り巡らして生活しているせいかもしれないけど、こうしたエピソードに遭遇するというのが僕には不思議に思われることがある。 

 

「ふりだしに戻る」(Merry Go Round) 

 ケックが引き受けたクレーズからの依頼は、500万ドル相当のベルギーフランを関税を通さずにアメリカドルに換えるというものだった。ケックは単身アメリカに戻り、架空の農機具会社をでっちあげ、細工粒々にして、いともたやすくこの依頼を果たし、報酬を受け取る。だが、その後、依頼人のクレーズが再びケックを訪れて言うには。 

 鮮やかな手口で颯爽と依頼をこなすケックの活躍が面白いが、まさかのドンデン返しが用意されている。読んでいて、一本取られたという爽快感が心地よい。 

 

「一万対一の賭け」(The Wager) 

 カジノでギャンブルに講じているケック・ハウゲンスを見つけたのは、サン・ミシェル島の前大統領デュヴィビエ氏だった。この前大統領はコレクションの彫刻作品をアメリカに密輸してもらいたいとケックに依頼する。密輸が成功すれば2万ドルの報酬を、失敗すれば2ドルの罰金を払う、これが前大統領の条件だった。ケックはこの1万対1の賭けに応じる。ところが、品物を受け取ると、ケックは優雅に船旅を楽しむ。 

 これも最後のオチというかドンデン返しが効いている。一話目が「してやられた」タイプのオチだったけど、ここでは「してやった」タイプのオチが効いている。この前大統領、ケックがギャンブラーであることを見落としていたようだ。 

 

「名誉の問題」(A Matter of Honor) 

 イギリス人スウェイト氏がケックに依頼するのは、ある名画をマドリッドまで運んでほしいというものだった。もちろん税関を通さずにである。この依頼には裏があると睨んだケックは、依頼人たちのさらにその裏をかくことにするが。 

 お恥ずかしい話だが、この物語でケックがどうやって絵画を密輸したのか、よく分からなかった。ケックの手に渡った絵が、運び屋のデュポール氏の傘に、どういういきさつで移動したのか分からなかった。多分、最初に読んだ中学生当時も理解できていなかっただろう。 

 

「カウンターの知恵」(Counter Intelligence) 

 今回、ケックの依頼人は、大手スーパーマーケットをチェーン展開する従兄だった。従兄の話では、一店舗だけ万引きの被害が突出していると言う。いくら綿密な調査をしても、万引きの手口が分からないので、ケックに調査を依頼したのだ。ケックは報酬のために引き受けたものの、生まれてこの方、スーパーマーケットなるものに足を踏み入れたことのないケックは、大勢の客の流れにもみくちゃにされて、捜査どころではなくなる。ケックにできることと言えば、せいぜい、レジカウンターでレジを打つカワイ子ちゃんたちを見とれている始末。でも、そこに手口があったのだ。 

確かに、品物を税関の目を盗んで持ち込む密輸と、商品を店員の目を盗んで店外に持ち出す万引きとは、同種の犯罪であるかもしれない。今回、ケックは税関史の立場に立たされるわけで、そこに趣向が凝らされている。 

優れた手口ほど単純明快であるという自説を武器に捜査に当たるケックだけど、本当に単純明快なトリックがなされている。しかし、現代のコンピューター管理が徹底している店舗ではこのトリックは使用できない。念のため申し上げておこう。 

 

「コレクター」(The Collector) 

 久しぶりに会ったケックは、コレクターになって慈善事業家になったと言う。その慈善事業の顛末を語る。カモにされたのはホワイトという資産家だ。ケックはホワイト夫妻に宝石類の偽装窃盗の案をもちかける。 

 最後まで読むと、なるほどそういうことかと思う。オチがよく効いている好篇。 

 

「バッハを盗め」(Sweet Music) 

 パリの空港。税関の目が光る。目の前に密輸人のケックが立っている。税関史はケックを主任の元へ連れて行く。そこで綿密な捜査、並びに身体検査までやらされるケック。絶対に何かを密輸しているはずだ。税関たちは血眼になってくまなく探す。彼らが目に付けたのは土産物のチョコレートだ。土産物は没収されてしまうが。 

 これまでの作品では、ケックが何を密輸するかを予め知らされていたけど、本作ではそれが読者に明らかにされていない。言い換えれば、読者は税関の立場に立たされるわけだ。敵側の視点で描かれるという点で趣向が凝らされている。 

 

「ホフマンの細密画」(The Hochmann Miniatures) 

 ケックに密輸を依頼してきたのは戦犯のウィルヘルム・グルーバーだった。コレクションの絵画を海外に密輸したいと言う。グルーバーのコレクションはほとんどが贋作だったが、一点だけ本物のホフマンの細密画があった。しかし、ケックにとってグルーバーは忘れられない人物だ。家族を殺したグルーバーだ。ケックは、復讐を果たし、ホフマンの細密画を手中にする。 

 ケックの個人的な過去に触れる唯一の作品ではないだろうか。さらなる悪人を登場させることで、ケックの行為が正当化されるような印象を受ける。なかなか上手い手を使うなと感心するのであるが、頭脳だけでなく、アクションもありというシリアスな一篇だった。 

 

 以上7篇、密輸人ケックのあの手この手の手口が魅力のシリーズ作品であるが、よくもまあ、これだけ一話一話に趣向を凝らすことができるものだ。作者のそのアイデアの豊富さを尊敬したいくらいだ。 

 

 最後に唯我独断的な評価であるが、4つ星半を進呈しよう。 

 

 テキスト:『密輸人ケックの華麗な手口』(Kek Huuygens, Smuggler)―ロバート・L・フィッシュ著(1976) 田村義進訳 ハヤカワミステリ文庫 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

 

 

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