6月23日(金):再訪
秘書に暴言暴力をはたらいた女性議員がいるとかなんとか、今朝のワイドショーで観た。ろくなニュースがないな。
僕が見た範囲では、支援者に送ったバースデーカードかなんかに誤表記があったとかなんとかだった。それを秘書に八つ当たりしているような感じだった。しかし、それって、詫び状を送れば済む話ではないんかいなとも思う。先日お送りしたカードに誤表記がありました、謹んでお詫びしますと一筆送れば済む話ではないんかいな。秘書を怒鳴り散らさんでもええ話ではないか。
もし、カードの誤表記で離れて行く支持者が現れるとすれば、その人は遅かれ早かれ離れて行く人だったんだと思う。そういう人をいつまでも引きつけておくよりも、本当に支持してくれる人たちを大切にした方がいいのではないかとも僕は思うのである。
もっとも、政治家の世界に僕は無知なので、何とも言い難いが。彼らにとっては支持者はもっとも大切な人たちであるかもしれないし、一人でも離反させたくないとかなんとかいう気持ちが起きるかもしれない。
しかし、秘書を怒鳴ってもどうしようもない。秘書を雇っているのもその人だし、その人の責任で秘書に仕事を任しているのだし、きっとカードを贈る前にその人が確認しているはずだと思うし、どうも秘書に当たり散らすのはお門違いのような気がしてならない。
現在、その議員さんは心身症で入院しているとかなんとかテレビでは言っていた。分からんでもない。心身症になるタイプだ。
日本は問題が山積み。それを処理する議員がまた問題の山積み。これでは救いようがないと思えてくる。もはや政治家なんかに我々の生活を任してはいられない、そんな時代が目前に近づいているような気がした。
あと、話題は14歳の将棋指しの子だ。連日そればかりだ。僕は将棋はチンプンカンプンだ。だから28連勝とかなんとかいうのはよく分からない。それがどれだけすごいことなのかも本当には分かっていない。みんながすごいとかなんとか言うから、きっとすごいのだろう。
僕は興味がない。まあ、願わくば、彼が14歳ではなく、24歳だったら良かったのにとは思う。とかなんとか(こればっかりだ)言って、他人のことをとやかく言うのは止そう。
他人様のことはそっとしておいて、僕は僕の人生に踏みとどまろう。忙しい日々を送っているのだ、気持ちが逸れてはいけない。
今日も、昨日に引き続き、書籍のことをメインに仕事する。一応、コンテンツはすべて書いたと思ったので、全ページをプリントアウトした。その時だ。一か所書き忘れているものを思い出したのだ。完成版を校正したかったのに、それは延期になりそうだ。
それでも書籍の方の見通しがついて来たので一安心だ。サイトの方は中断しているけど、この調子では7月から再開できそうだ。
先日、留守番電話に吹き込んでくれていた人から電話があった。良かった。どんどん仕事をこなしたい。
お酒は月曜日に呑んだきりだ。今日で丸四日、お酒を抜いている。飲もうという気がしない。体調が悪いからである。
体にできものができて困っている。一部、顔にも現れている。多分、体の中に悪いものがたくさんたまっているのだろうと思う。それで生活を一部改め、食生活も見直している。少し食べる量を減らしており、菜食中心にしている。今日なんかは、昼も夜もサラダだけだった(これはたまたまそうなっただけでもあるが)。
そうして節制していると、2キロほど体重が減った。今日、運動とリハビリを兼ねて、午後から歩きに出たが、意外と歩けた。足に力の入らない感じはあったけど、体は軽く感じられた。気分の問題に過ぎないかもしれないが、身軽になった感じがして良かった。
散歩の際に、実はある所へ行ってみようという目的があった。去年、僕が救急搬送された病院だ。一日だけお世話になった病院だ。これは僕の流儀みたいなもので、怪我をした場所とか辛い体験をした場所には、いつか必ず再訪すると決めている。その体験を克服する一環として、また、その体験をしっかり過去に位置づけることの一環として、それをしている。
今日、その病院に行った。あそこから搬送されたんだなとか、ここで父の車に乗せてもらって転院したんだったな、などとあれこれ思い出す。あの頃の絶望的な気分が、今では嘘のようだ。
その場所は何も変わっていない。それを知ることも大事だと思う。あれからどれだけ時間が経過していようと、その場所が変わっていないことを知るのは、僕の場合、ホッとする。以前も今も変わらぬその同一性を目にすることで、僕自身の同一性が再確認できるようにも感じられる。それがいいのだ。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)